聴講レポート「文化芸術ミーティング2025」

「文化芸術ミーティング2025」を聴講してきました。副題は「地域とアートプロジェクト~福井のアーツカウンシルの未来を考える」です。(2025年12月14日@福井県繊協ビル ホールA)
主催は福井県文化振興事業団ふくい文化創造センター。
個人的な感想を一部掲載します。

助成事業の紹介では「湊ノ芸術祭2025」と「うらのこうの」、パネルディスカッションでは「さばえまつり」の事例発表が行われました。

20~30代中心で若い人たちの新しい兆しを感じるイベントだと思いました。どのプロジェクトもコンテンツが充実しているだけでなく、地域住民が心から楽しんでいる様子が伝わってきました。そして何より「オシャレ」であること。この視点は、今の時代において非常に重要だと感じます。 (参考:過去記事『湊ノ芸術祭』)

個人的に深堀りしたかったのは、「何をしたか」だけではなく「どうやって運営したか」というプロセスの話です。ほぼオール県外・市外出身の若者たちが見知らぬ土地で立ち上げるパワーの源泉は何なのか。現実的に運営をどのように進めていたのか。どの団体も直面する運営と継続の課題を、彼らはどう乗り切ったのか。一言で言えば若さゆえ、だと思いますが、その情熱をどう仕組み化しているのか、運営面での知見も非常に気になるところでした。

後半のパネルディスカッションは、「福井のアーツカウンシルは何を目指し、何が必要かを探る」という少し踏み込んだテーマでした。

パネリストの朝倉由希さん(小松大学国際文化交流学部 准教授)のお話で、「実はアーツカウンシルには、はっきりとした定義がない」「そもそも何なの?」という成り立ちから、横浜・東京・沖縄・大阪といった各地の事例まで、とても分かりやすく紐解いてくださいました。定義があやふやなまま2010年代に各地で組織が作られていった……というところでしょうか。

ここで私がふと考えたのは、独立性のことです。 母体が自治体である以上、どうしても恣意的な介入、つまり行政にとって都合のいいものが選ばれてしまうのではないか?という懸念が、私の中にはありました。

ちょうど先週の、東京藝術大学の講義(現代美術キュレーション概要)で、イギリスの公立施設での展示事例を学んだばかりでした。その展示は、イギリスが起こしたまたは参加した戦争、植民地支配について自己批判を含む強烈な展覧会を堂々と企画されていました。このようなセンシティブな展覧会ができる土壌について、担当先生が「イギリスには徹底的な自己批判の文化がある」とおっしゃっていたのが印象に残っています。アーツカウンシルをいう仕組みを最初に提唱者したのはイギリスのジョン・メイナード・ケインズさんですが、果たして今の日本や福井に主催も鑑賞者も批判を受け止める土壌があるかだろうか、と考えてしまいました。

もとい、朝倉さんは続けてアーツカウンシルというのは「組織を指すのか機能をさすのかもあやふやなまま」であると。定義するものもないけれど一般的な浸透はまだまだ先です。

さらに朝倉さんは課題として次の3点を挙げていました。
専門性: 自治体の中に、アートの専門家がいない。
継続性: 行政の担当者は数年で異動してしまう。
独立性: 政治や行政の意向に左右されない仕組み作り。

暮らす人が「自分たちの地域にどんな文化が必要か」を問う必要があります。

パネルディスカッションで特に心に刺さったのが、森司さん(アーツカウンシル東京 事業調整課長)のお話でした。その言葉の一つひとつが、あまりに本質的で……。

森司さんの発言
「東京アートポイント計画を進めるにあたり、アートと福祉の包括的な事業おいて、芸術が生活の中で機能するかを捉えなおすという目的がありました」

よく「福祉のためにアートを活用しよう」という話を聞きますが、森さんはその逆、というかこちらが正しい視点です。アートは何かを広めるための「手段」ではなく、生活そのものを豊かに動かすものなのです。

「地域資源をいじるのは誰か、ということ。美術館ではない街中で行うということ、その担い手としてNPOがある。志はあるが資金がない、というところに委託事業で資金を提供していく。しかし志はひとつだけど関わる人が皆忙しい。そこで私たちが伴走し、どういうことと何を表現するのか、その核をぶらさないようにする」

講演後に、どのような伴走支援をされているのか森さんにお聞きしたところ、「事業団体のミーティングに細かく参加し、コンセプトがブレないよう軌道修正する」ということでした。

はっと気づかされたのが

・事業をすることと、チームをマネジメントすること、は別。
・組織としての基礎体力と事務処理能力があってこそ継続できる。
・最初の取り掛かりから3年を耐えてはじめて、仕事が分かりチームになる。基礎工事を経てビルを建てる基盤が出来る。
・継続的にできる体制になっているか、それを残す(アーカイブ)ことができるか、終了後に自己評価とリフレクション(内省)をしているか。

終わった後のアーカイブ(記録)やリフレクション(内省)の大切さについて「これらを可視化していくことで、チームはしなやかに強くなっていく」 「チーム内で共有できる言葉を持っているか?」という問いは、まさにマネジメントそのものでした。事業主体への協力者、事業への参加者において「参加の仕方をデザインしているか」とも指摘。

アーツカウンシルの話を聞きに行ったはずが、気づけば「これって会社経営やビジネスと全く同じじゃないか!」と、脳が完全にお仕事モードになっておりました。

今回のミーティングを経て、自分の中に心地よい「モヤモヤ(美術作家・藤浩志さんの言うところの)」が広がっています。この複雑な心境はまた別の場所で整理したいと思いますが、イベントの最後に会場で集い合う人たちを見て思ったことが「情報をオープンにし、思考し、対話する場を育むこと」。 それ自体が、文化芸術に関わるということの第一歩なのだと感じました。

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この記事を書いた人

SAITO Riko(齊藤理子)

幼い頃から絵が好き、漫画好き、デザイン好き。描く以外の選択肢で美術に携わる道を模索し、企画立案・運営・批評の世界があることを知る。現代美術に興味を持ち、同時代を生きる作家との交流を図る。といっても現代に限らず古典、遺跡、建築など広く浅くかじってしまう美術ヲタク。気になる展覧会や作家がいれば国内外問わずに出かけてしまう。

アート関連の発信はFacebook個人、Instagram個人にてバシバシ行っております@cowbellriko


I have liked drawing since I was young, manga and design. I tried to find a way to be involved in art other than painting, and found that there were ways to be involved in planning, management and criticism. I am interested in modern art and try to interact with contemporary artists. I am an art otaku, however, it is not limited to modern art. I appreciate widely and shallowly in classical literature, remains, and architecture. If there is an exhibition or an artist that interests me, I go anywhere in and outside of Japan.