「淺井裕介展 星屑の子どもたち」アーティストトーク記録

4月27日に淺井裕介さんのアーティストトークが金津創作の森美術館で開催されました。ご本人じきじきの解説はやはり面白い。時に苦労も垣間見られるお話でした。

簡単ではありますがその時の様子をまとめました。誰に頼まれたわけでもなく備忘録として。全文起こしではなく個人的な要約ですので、あらかじめご了承ください。

淺井裕介です。
3月17日から金津に来て、この森から一歩も出ていないんです。公開制作をしていました。45日間で、この森で生まれたものを創作の森で展示しています。

ーアートコアホワイエの壁の作品について
これはマスキングテープの作品です。僕は「フラットマスキングテープ」を使って2003年から絵を描いています。どんなふうに描いているかというと、ある場所にマスキングテープを貼って、そのうえに絵を描いています。

僕は東京に生まれ、育ちました。街の中を歩いて植物を見つけていました。その行為が作品の一つになりました。例えば電信柱にマスキングテープを貼り、絵を描いていくシリーズです。
マスキングテープのメリットは剥がせること、裏うつりしないこと。街の中に自然の風景を作ろうと試みました。街の中に自由なキャンパスをつくりたいと。
テープとペンを持って街を歩き、デパートや電車の中や電柱にマスキングテープを貼り、絵を描き、誰にも知られずにやる。家主さんとか周りで気づいた人がいて「やってみていいよ」「はがさないで」言われ励まされました。「だめだ」と言われれば剥がせるところがテープのいいところです。

そういえば、平成28年(2016年)に金津創作の森で開催された「高橋コレクション」展僕の作品が展示されています。作品だけでしたが。

ービデオ映像について
金津創作の森にある、池のほとりで安土早紀子(あんどさきこ)さんが歌い、僕が即興で絵を描いている映像です。足で絵を描いたりしています。

ーアートコアミュージアムの作品(真ん中にピアノがあり、マスキングテープがあちこちにのびて会場中に張りめぐされている。ピアノとテープを使ったパフォーマンス映像が壁に投影されている)

今日と明日しか見られないパフォーマンス&インスタレーションの作品です。映像自体は2時間あります。これは3台のカメラで撮影しました。僕は何かを作る予定をしていません。ピアノを弾く人(安土早紀子さん)がいて、その音に合わせてテープを巻いたりしています。

ーピアノとのコラボレーション作品について
僕は「植物的思考」と「動物的思考」という両面から考えています。「植物的思考」とは、環境の中でつくられるべきものの思考のこと。この場合、ピアノの音に合わせて作る、音が止まればテープは止まり、音が激しくなるときは激しくテープを動かします。逆もあって、音が止まっていて僕が先に動くと音がついてくるような。安土早紀子さんが弾いていないときは僕のテープも何も作っていないんです。一緒に遊ぶような感覚です。

「動物的思考」とは、動物が環境に適応するように自分で環境を作り変えるようなことです。例えば ビーバーが木を切り倒して巣を作るように、環境を作りこみます。

ーエントランスにある作品
「花追い」という作品。16時ごろに絵の位置を入れ替えています。

壁にかけてできる、可変できる作品ができないかと考えていました。変化になるもの、外につながるもの、無限に広がるものの最小単位を作ろうと考えた、その一つの作品です。16時に来ると入れ替えが見られます。

ー展覧会入口、壁にかけた作品3点
105本の花が描かれた絵です。これは公開制作で手伝ってくれた人たちにひとり1本ずつ色をつけてもらったものです。毎日1本ずつ消えるんです。
昨日、今日、明日に消える花に「しるし」をつけています。鑑賞者はそのしるしに注目するでしょう。つまりその人のその花はその日の主役になるんです。

昨日消された花の絵としるし

ーおがくずの中にある粘土
握ってひらいただけの造形物です。僕は「はじまりのちょうこく」と呼んでいます。

ー大きな壺
壺は3つ作りました。そのひとつがJR芦原温泉駅にあります。

ー壁にある小さな彫刻の作品
福井の土を使って焼いて着色した作品です。

ー外にある作品(内側のガラス張りから見える…はず)
外に2つ、枝の上に乗っている小さな生き物の焼き物が見えますか? ほかにも森の中に置いていますが、まず見つからない、皆さんは見つけられないでしょう。

皆さんが外に見つけるために歩いたら、森を見てほしい。作品を探すということは森をよく見るということです。「あそこには何故枝がないのかな」「なぜ葉がはえてないのかな」と、よく見ないと見えないし気づかない。探さないと見えないものがあるということ。だけどそれが日常を再確認する行為につながります。

ー公開制作の作品
床において作った作品です。だいたい300人の方が関わり、福井県内60ヵ所以上の土を使いました。30色ブレンドして自然の土でベンガラや炭で定着させています。白と赤はもともとの下地の色です。

この作品は、ぜひ裸足になって入ってください。中に入って踏んでほしい。土をふむ感覚を感じてほしいです。「どう見たらよいか」と聞かれるけれど足の裏だけで感じる作品です。何の気なしに歩いて、30分動かないで。30分が無理なら1分だけでも。そして自分の周りのところだけをじっくり見る。

床の作品は、どんなものかというと真ん中のあるものは核みたいなもので、太陽の近くにいきたい、でも近づくことができない。人間と自然への距離感があるということを感じてほしい作品です。

塗り方がうまいなあ、じゅうたんみたいだと思うかも。編んでいくような作品なのです。泥の絵は、その上から描くことができてマイナスにもできる。マイナスを作ることで余白が生まれるんです。

ー壁の作品
床に対して壁は大胆な作品にしました。みんなが帰ったあと、夜中に制作したものです。蹴ったり、土を投げたり、誰もいないところで「やるかやられるか」の感じの制作です。
(なぜこれを作ったかというと)自然は受け止めてくれないことがあるんです。怖い部分がある、癒しでないこともあります。自然との距離感をつかむこと、土と格闘した行為です。

鑑賞者から次のような質問がありました。

ーー質問 淺井さんが描く生き物は4本の脚?指?なんですね
そう、足の指が4本なんです。僕の20歳からの習性で4本なんです。

ーー質問 古代の壁画を意識していますか?
絵を描く行為は変なことではなくて、途絶えていないと思います。人はずっと絵を描いていたと思います。
人間は絵を描く動物だと思います。歌を歌うように、絵を描くことを僕はできる。アートだから絵を描くのではないんです。でも描いた人はきっと「伝わってほしい」という気持ちがあって絵を描く。それを最後に見た人が「わかるよ」と言って次をつくる。それはどうしようもなくうれしい連鎖だと思うのです。

洞窟にいた人は置いて行かれた人ではないかと思うんです。絵を描くことしかできなかった人ではないかと。言葉で伝えるものを絵で表現したくてしたのではないか。お祈りのようなものです。ハンドペイントは昔からあることですし、ここにいたあかしです。

アートは人間に限った表現だとは思っていません。絵や写真は一種の固定観念でしょう。
最近の風潮は自分の耳や目で見ていないもので話し始めている気がします。
僕は最後に残るのは詩人の詩だと思っています。言葉は強い。パソコンの中でも言葉は人に響く。土のリアルな世界にいても、詩人のもつ言葉の力のほうが有力なんです。詩とは何かを考えています。

僕が絵を描くのは、迫られてそうせざるをえないことなんです。しなくていいことならしないもんでしょうね。本当は作らなくてもいいものを僕は作っているわけです。それなら「せめていいものを作ろう」「人に伝わるものを作ろう」と、何か伝わるものを作る責任があるんです。生き物としては何も作らず何も残さないものがいいと思っています。何かを作ることは素晴らしいことではない、と僕は何となく思っています。

ー質問 どうやって描いたのですか?
簡単には描いていないんですよ。準備をして描いています。山を登る人は、山を登ってから次の山を目指すでしょう。そんなかんじ。「ここまでするつもりなかった」と思って描き上げると、次が見えているんです。
環境がそうさせることがあります。「今日は無理かもしれない」と思ってもやる気満々な人が10人くると仕事をつくらないといけない。
僕は制作に安心をしていません。「だめかもしれない」「昼はだめかもしれない」と自分にぐったりしています。だけどそのとき支えてくれる人がいて、人の力が背中を押してくれるんです。

福井県内、国内の土のサンプル

トークを聞いて

ぼそぼそと話すタイプの作家さんですが、きっと中身は熱いんだろうな、ロックなんだろうなと思いながら話を聞いていました。優しい作家なんておりませんもの。

「もうだめかもしれない、けどやる気のある人が来るとやらなくちゃいけない」というところに、人を動かし作家として食べていく人の責任というのものを感じました。

描いて何かを残すことは考えていなくて、言葉を残したい、詩人への嫉妬というものが彼の中にあることも知りました。絵を描ける人が言葉を紡ぐ人に憧れを抱く、このあたりをもう少し聞きたかったです。2つの思考についても。

制作に参加して

私が淺井さんの作品に出合ったのは、第一回目の愛知トリエンナーレでした。長者町の古いビルの一角、狭い階段をあがった先にある部屋全体、天井も床も窓もすべて泥絵で描かれていました。その後、芸術祭を巡るたびに淺井さんの作品を目にして、いつも見かける作家となりました。その作家さんの制作の手伝いを、よもや福井でできようとは思わず、わが子と制作に制作に関わることができるなんて長生きはするものです。

どの土をどこに塗るかは決まっていて、土の調合が難しかったです。水を入れすぎてもだめ、多すぎてもだめ、塗り絵のようにもならないし、コツも人それぞれ。どの筆を選ぶのか自分次第、丁寧にはみ出さないようにして、うっかりはみ出しちゃったら「やりました!」と手をあげて修復してくれるスタッフさんを待つ。こつこつひとりで仕事をしているかとおもいきや意外にもスタッフさんが数人いて(いやそうでないとできないけど)、朝から晩まで遅くまで毎日描いていました。淺井さんは、彼らが終わった後にひとりぶつかり稽古ように壁に対面して泥をぶつけていたそうです。壁の作品は丁寧な泥絵とは反対のほとばしる激しさがあります。夜中に彼は「何と」格闘していたのか、そこもトークで突っ込みたかったです。

2024年3月末の制作の様子

制作には娘と娘の友人を連れて参加。何をするか分からないままに連れて行ったわけですが、じきじきに淺井さんから指導受け、もくもくと作業。「らくしょう~」なんて言ってた彼女たちは一転、集中力とその消耗がすさまじく2時間ほどでギブアップ。「この仕事を作家さんは毎日何時間もやってるの?」と休憩室でへとへとになりました。彼女たちの絵付けした花、本人たち「らしい」色使いでエントランスに咲いています。

アートは”かがやき” 北陸新幹線福井開業記念
淺井裕介展 星屑の子どもたち

2024年4月27日(土)~8月25日(日)
時間 10:00~17:00(最終入場16:30)
会場 金津創作の森美術館 アートコア、野外美術館
休館日 月曜日(祝日の場合開館、翌平日休館) ※8月13日(火)は開館
観覧料 一般 600円(400円)、65歳以上・障がい者 300円、
高校生以下・障がい者の介護者(当該障がい者1人につき1人)無料
( )内は20名以上の団体割引
https://sosaku.jp/event/2024/asai/

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この記事を書いた人

SAITO Riko(齊藤理子)

幼い頃から絵が好き、漫画好き、デザイン好き。描く以外の選択肢で美術に携わる道を模索し、企画立案・運営・批評の世界があることを知る。現代美術に興味を持ち、同時代を生きる作家との交流を図る。といっても現代に限らず古典、遺跡、建築など広く浅くかじってしまう美術ヲタク。気になる展覧会や作家がいれば国内外問わずに出かけてしまう。

I have liked drawing since I was young, manga and design. I tried to find a way to be involved in art other than painting, and found that there were ways to be involved in planning, management and criticism. I am interested in modern art and try to interact with contemporary artists. I am an art otaku, however, it is not limited to modern art. I appreciate widely and shallowly in classical literature, remains, and architecture. If there is an exhibition or an artist that interests me, I go anywhere in and outside of Japan.