3月7日に福井県立美術館で開催された「建築家・内海慎介 佐川美術館を語る」の第二部クロストークの記録です。芸術専門楽群が開催協力をいたしました。
JIA建築文化講演会「建築家・内海慎介 佐川美術館を語る」@福井県立美術館
日時: 2026年3月7日(日)
会場: 福井県立美術館
主催: 日本建築家協会北陸支部福井地域会
https://www.geisen.art/archives/3208
第二部:クロストーク登壇者
- 内海 慎介 氏(元 竹中工務店プリンシパルアーキテクト)
- 石堂 裕昭 氏(元 福井市美術館館長)
- 板倉 満代 氏(ファシリテーター・福井県建築士会会員)
- 山田 健太郎 氏(司会・日本建築家協会北陸支部福井地域会)

内海さんの「準備の哲学」、石堂さんの「彫刻家から学芸員へ」
板倉:私は福井市出身で、現在は地元で設計事務所を営む板倉と申します。大学で県外に出まして、その後、竹中工務店に7年勤めました。入社3年目に「佐川美術館」のプロジェクトで内海さんのもとに配属され、施主会議の準備などが主な仕事でした。その時の内海さんは佐川美術館と大阪江坂にある「スキュルチュール江坂」という彫刻美術館の2つを同時に設計されており非常にご多忙だったことを覚えています。私は退職後も当時の仲間と「内海会」として交流を続けてきた縁があり、本日はファシリテーターを務めさせていただきます。
トークに先立ち、当時の仲間に事前に内海さんの印象を聞きしました。一人の担当者は、「内海さんは答えを知りながらも、あえて問いを投げかけ、部下に答えを模索させる。それが自分たちを育ててくれていたんだな、と後になって分かりました。内海さんのもとで仕事を進めていくには、色んなことを知っていなければいけない、だから自分も必死に事前に調べていた」と当時を振り返ります。
もう一人は「一番印象的だった場面は、佐川急便の当時の社長がなぜ美術品を置く建物に水庭を採用するのか、なぜ外壁を化粧コンクリート打ち放しにするのかと問われた際、社内でも外壁を石張りにしたらどうかという話も出たが、内海さんだけが最後まで信念、つまり内海さんの建築の美学というものを貫き通してらした」と語っていました。
私から見た内海さんは、一言で言えば「徹底した準備の方」です。打合せの際、内海さんは膨大な数の「捨て案(予備案)」を準備されていました。結局、施主に見せることなく終わる図面も多かったのですが、内海さんはその作業を一切怠りませんでした。万全の備えをして勝負に臨む策士という印象でしたね。

石堂:私は、両親の故郷である岡山県の津山市で生まれましたが、育ちはほとんど大阪です。美術との出会いは中学の頃。当時は日本画家になりたいと思い、大阪の美術科のある高校に進学しました。
ところがその後、先生方に少しばかり騙されまして(笑)、彫刻の道へ進むことになります。愛知県立芸術大学で彫刻を学び、大学院を出てしばらくは彫刻家として歩んでいたのですが、手に怪我をするというアクシデントがありまして。その後、ヨーロッパをぶらぶらと旅して帰国したタイミングで、「福井で仕事がある」というお話をいただいたんです。たまたま大学院時代に学芸員資格を取っていた、ただそれだけの縁で福井へやってきたのですが、いきなり「新しい美術館の建築に携われ」という大役を仰せつかりました。
福井市美術館はもともと、福井出身の彫刻家・高田博厚(たかた・ひろあつ)さんの作品寄贈を受けたことがきっかけで、「市民ギャラリー」「演劇・音楽ホール」「高田博厚記念館」という3つの機能を備えた施設として計画されていました。ただ、私としては当時の福井市長(大武幸夫市長)とお話をさせていただく中で「記念館というものは、一度足を運ぶとなかなか二度三度とは来てもらえないものです。記念館という形はやめましょう」と伝えました。
市長もこの話をよく聞いてくださり、結果として、高田博厚さんの作品は「常設展示」という形に。実は、音楽・演劇の練習ホールについては黒川紀章さんが設計を進めていて、佐川美術館と同じ1997年の開館を目指していたのですが……バブルが崩壊しまして。予算の制約からホールの建設は見送ることになりました。今、エントランスの横に芝生のスペースがあるのですが、本来はあそこにホールができる予定だったんです。
私は大学で美学や美術史を専門的に学んできた立場ではありません。単に彫刻を学び、建築に興味を持って海外を見て回ってきた、そんな経験で1991年に福井市役所に入庁しました。佐川美術館さんのように潤沢な資金があったわけではない福井市ですから、構想を練る上でも多くの制約があり、何度も窮地に立たされました。苦難を乗り越えて出来上がった福井市美術館について、本日は運営者側の立場からお話しできればと思います。

展示設計におけるキーワードは「フレキシブル」
板倉:彫刻家としてのバックグラウンドを持つ石堂さんは、作品を「置く・設営する」という点で、福井市美術館ではどのように取り組まれたのでしょうか。設置されている高田博厚さんの彫刻配置も含めてお聞かせください。
石堂:先ほどの内海先生のお話(クロストーク前の記念講演)では、「佐川美術館は彫刻をどう置くか、最終的に分からないから、フレキシブルに対応できるようにした」とのことでしたが、福井市美術館の常設展は対照的です。高田博厚さんの歩んだ人生になぞらえて「章立て」にし、それぞれの物語に合わせた展示室をしっかり作るという明確なコンセプトを立てました。
設計を担当された黒川紀章さんのプランも、良し悪しは別として特徴的でした(笑)。常設展示室は、第一展示室が「正方形」、第二展示室が「台形」、第三展示室が「三角形」、そして第四展示室が「楕円形」という構成になっています。 特に楕円形の第四展示室については、フレキシブルな展示ができるよう配慮しました。彫刻ですので、南面からでも自然光が入るようにするなど、採光のあり方についてもさまざまな検討を重ねたのを覚えています。
佐川美術館は、天井も高く非常に開放的で、宮城県美術館の「佐藤忠良記念館」ともまた違った趣がありますね。
そこで内海さんに伺いたいのですが、あらかじめ作品の配置が決まっている中で建築を考えていく場合と、何もない状態で先に建築を作る場合とでは、設計する側の思考は全く異なるのではないかと思います。そのあたり、内海さんはどのような感覚で設計に臨まれたのでしょうか?
内海:初期の提案段階では、収蔵品も展示の方針も決まっていませんでした。全国の公共美術館によくあるような、可動間仕切りでどんな展示にも対応できる「フレキシブルなギャラリー空間」しか想定していなかったのが正直なところです。
準備期間中に平山郁夫先生と佐藤忠良先生の収蔵が決まりました。すると作家側の合意を得るため、その代弁者である美術商の方々との打ち合わせがスタートしたのです。
限られたスペースをどうカスタマイズしていくか。平山・佐藤両先生の作品にふさわしい空間の模索が開始しました。展示室と作品の関係を検討、説明するためにまず大きなスケールの模型をいくつも作ったうえで、最終的には佐川美術館の隣の土地にある佐川急便所有の体育館に、原寸大の仮設展示室を作って確認するなど、誠意を持って取り組みました。
特に佐藤忠良館においては、いかに「ホワイトキューブ(ニュートラルな白い四角い箱)」から脱却するかがテーマでした。部屋ごとに特徴を持たせ、細長かったり、かまぼこ型の天井みたいになっていたり、外の景色が見える部屋……といった具合に構成しました。キーとなる作品はほぼ動かない定位置であることを定めつつ、ある程度自由になるところも混在している感じです。
平山郁夫館では正直なところ、当時は「ここまで個別にカスタマイズしてしまっていいのか」という抵抗感や不安もありました。あまりに多くの小部屋を作り込んで「迷路のようになって大丈夫か」と心配したほどです。しかし、展示構成を含め、美術商の方々の美意識は非常にレベルが高く、教えられることばかりでした。
打ち合わせのたびに山のように宿題が出されますから、苦労の多いプロセスでしたが、議論と検討を重ねてその結果、完成した時には関係者全員が「自分がこれを作ったんだ」という深い納得感に辿り着けたと思います。これは本当に幸せなことでした。
今では設計プロセスに「ワークショップ」を取り入れるのは当たり前ですが、当時はまだ一般的ではありませんでした。振り返ってみれば、まさに「ワークショップの走り」だったのだと感じています。

佐川コレクション展の展示を巡って
板倉:今回の福井県立美術館の企画展「佐川美術館コレクション」では、彫刻家佐藤忠良さんの作品が展示されていますが、皆さんはもうご覧になりましたか?まるで青い海の中に作品が置かれているような、非常に印象的で自由な設営がなされていました。
2026年2月21日に行われたギャラリートークで、での担当学芸員さんの説明によると、佐藤忠良ゾーンの全体配置は、佐川美術館を象徴する「水庭」を意識されたとのことでした。この企画展のチラシにも水庭が背景に使われていますしね。壁で区切るのではなく、奥が透けて見えるような、水面を連想させるテキスタイル(布)が使われています。「彫刻を前から後ろから見て、どこが正面なのか、それは見る人が決めてください」と。お二人は今回の展示をご覧になって、どのような感想を持たれましたか?
石堂:学芸員というのは、本当に考え方ひとつで空間の捉え方が変わるものです。特に彫刻の場合は、鑑賞者は下から見上げたり、あるいは寝転がって見たりしてもいい。展示設計において担当者は、その空間に対してどれだけのボリューム感が必要か、という感覚が問われます。
ただ、展示において最終的には「照明」が全部を持っていっちゃうんです。どれほど良い空間を作り上げても、照明ひとつで台無しになってしまう。今回拝見した展示は、「水」というテーマが非常にゆったりとした空間構成に反映されていました。動線も分かりやすく、担当者の意図が明確に表現されていると感じます。
もちろん、同じプロとして「自分だったらこうするかな」というポイントもいくつかありましたが、それは後でこっそり担当学芸員に伝えようと思います(笑)。やはり、その館の担当学芸員が「こうしたい」と掲げるビジョンは、最大限尊重してあげなければいけない。それを館としてどうするかっていうことになると、学芸員同士で喧々諤々(けんけんがくがく)と議論をして、最終的に担当者もそれに納得しながらこうやっていくものです。

学芸員不在の設計プロセス――「完成された空間」を引き継ぐ
石堂:そこで気になったのですが、佐川美術館さんの場合は、設計の最初期から学芸員の方がプロジェクトに携わっていらしたのでしょうか?
内海:いいえ、学芸員の方が着任されたのは開館直前のことでした。ですから、準備期間の意思決定は、私たち設計者と、建築主と美術顧問による検討委員会との協議ですべてが決まっていったのです。そうした意味では、一般的な美術館建設で想定されるような、学芸員が専門知識を振るって「場」を作っていく、という活躍の機会は当時はほとんどなかったと言えるかもしれません。
石堂:それは……後から入られた学芸員さんは、相当な苦労をされたのではないでしょうか。建築の形も、常設の展示構成も、作家サイドやギャラリーの方々との間で完全に決まっている。その完成された場所をどう運営していくかという点では、相当な制約があったはずです。
企画展を行う本館の方では、かつて福井市美術館でも開催した『魔法の美術館』のような、非常にフランクで親しみやすい展示も手掛けておられますよね。ああいった企画を見るにつけ、学芸員の皆さんが持てる知恵や知識を絞り出し、工夫を凝らしてこられたのだなと感じます。
内海:学芸員の方々のモチベーションという点では、正直なところ、当初はかなり厳しい環境にあったと思います。企画展も時折「異色」なものを誘致して開催されることがありました。企画展示室だけでは収まらず、規模が大きくなると本館のスペースにまで浸食してくるようなこともありまして。そうした背景もあって、現在は展示室の拡張を含めた改修が進められているわけです。

三巨匠の空間をも凌駕するメディアコンテンツの吸引力
変容する美術館という「器」
内海:印象深いのは、「そもそも、ここに年間何人ぐらい来るのか」という素朴な疑問でした。専門家の協力のもと、私たちが最初に作ったレポートでは「年間7万人」という目標数字を出したのですが、実はそれを達成するまでには、開館から7年を要しました。樂館(らくかん)がオープンしてからは、年間10万人近い線で推移するようになったのです。
驚くのは、吸引力の強いコンテンツが入るとすごいんですよ。例えば『デザインあ展』です。平日でも入場制限をかけなければいけないほどの行列で埋まりました。他ではなかなか見られない展示で、関西圏では佐川美術館だけだったこともあり、予想外の状況でした。
日本を代表する3人の巨匠(平山郁夫、佐藤忠良、樂吉左衞門)の作品でさえも叶わない程の吸引力を、一つのコンテンツが発揮する。これには驚かされました。
最近、私は月に一度ほど、京都国立博物館でボランティアナビゲーターを務めているのですが、そこでも似たような体験をしました。常設展は地味ながらも落ち着いた、国宝や重文が並ぶ名品にぴったりの展示です。谷口吉生さんの建築も見応えがあるのですが……先日、その中の一部の展示室で刀剣の展示が行われました。
皆さんは「刀剣女子」という言葉をご存じでしょうか。会場にものすごい数の女性たちが押し寄せてくる姿を見て、圧倒されました。もともとは「刀剣乱舞」という刀剣を擬人化したキャラクターが登場する漫画やゲームが火付け役だそうですが、これほどまでに人を集めるのかと。「社会的に価値が認められた作品を見せてあげる」という旧来の美術館の集客の努力だけでは到底及ばないパワー、吸引力が、別の世界にある。
それはもはや「名品」や「箱(建築)」の力ではなく、コンテンツの持つ驚異的な力を認めざるを得ません。私自身は「刀剣にそこまで見応えがあるのかな」と不思議に思う部分もあるのですが(笑)、想像を絶するくらい人々が群がっている。美術館という場所のあり方が、大きく変わろうとしているのを感じます。
石堂:内海先生がおっしゃったことは、ある種の一時的なブームという側面もありますが、やはり今の時代、SNSで拡散されてアニメがひとつヒットしたものを展覧会ですれば人が入る「メディアの力」は無視できません。展示の内容そのものが、時代とともに大きく変容しているのは確かだと思います。
ただ、運営側の視点に立つと、どうしても「入館者数」と「収益」の話で終わっちゃいますよね。文化芸術としての重要性はもちろん承知していますが、館を存続させていくためには稼ぐ必要がある。まず人を呼び、お金を落としてもらわなければならない。そうした背景の中では、せっかくの美しい建築も、残念ながら「単なる器」としてしか見られなくなってしまうのが現状です。
先ほど佐川美術館の素晴らしい映像を拝見しましたが、あのように静謐で美しい空間に、もし一気に2万人の人が押し寄せたらどうなるか。見え方は劇的に変わってしまいますよね。
福井市美術館でも、黒川紀章さんは「ここから見た姿がきれいであればいいんだ」とおっしゃるのですが、私は「先生、それは人がいない時の話でしょう?」という部分もゼロではありません。私たちも、今ほど先の未来を具体的に見通せていたわけではありませんでしたが。
もし今、もう一度美術館を作れと言われたら、私も当時とは全く違う注文を出せたかもしれません。当時は「天下の黒川紀章」と言われた時代です。当時の市長も「全面的に任せろ」というスタンスでしたから、私や建築住宅課の担当者たちが描いていた「夢」を形にするのはなかなか難しかった。それでも、黒川さんと共に仕事をしたことで、建築のあり方というものを深く勉強させてもらいました。時代とともに展覧会の形が変わっていく中で、設計された先生方からすれば「せっかく作ったこの建物で、なんて展示をやりやがるんだ」と苦々しく思う瞬間も、もしかしたらあるのかもしれませんね(笑)。

内海さんが評する建築家・黒川紀章の一面
板倉:予定では次に「設計者対運営者」というテーマでお話ししようと思っていましたが、今のお話ですでにその核心に触れている気がしますね。ではここで、内海さんから黒川紀章さんにまつわるエピソードとして和歌山県立近代美術館のお話をしていただけませんか。佐川美術館の設計の参考に和歌山を訪れたと伺いました。
内海:佐川美術館の場合は、運営サイドの視点は短期間に走りながらという感じで、無理や限界もありましたが、見学させて頂いた黒川作品の和歌山県立美術館・博物館では設計者との打合せに2~3年先行して準備室が入念な検討をされ、黒川作品群の視察に基づく「べからず集」まで作られていたので印象的でした。そのような具体的なルールをまもられたこともあって、機能に無理のない落ち着いたデザインの美術館だと感じました。
国立民族学博物館(大阪府)もメタボリズムのコンセプトに沿った数少ない成功例です。その後の増築が少し乱暴で、黒川さんの目に触れていないような部分もあるかもしれませんが、生きてる感じがしますよ。オリジナルの遺伝子を継承しながら、今も建築が生きている幸せな建物です。
板倉:「幸せな博物館」。とても素敵な表現ですね。

「見てよかった」を作ること。ブームを消費で終わらせない学芸員の責任
殺伐とした社会にこそ「本物の体験」を
内海:少し雑談のようになりますが、今の時代、ただ「良い作品を見せてあげる」だけじゃなくて、先ほどの「刀剣女子」にしても『デザインあ展』にしてもそうですが、外へ向かってグイグイと押し出す力、つまりプロデューサー的な視点が重要で、集客には不可欠なのではないかと。
いわゆる「学芸」の専門性とはまた少し違ったプロの仕事だと思うんです。 例えば、今まさに映画の『国宝』が大ヒットしていますよね。あの波及効果や経済効果には凄まじいものがあります。映画の収益はもちろん、原作の小説がさらに爆発的に売れ、それによって歌舞伎の入場者数までもが大きく伸びている。ああいうインパクト、国宝のプロデューサーがそこまでの広がりを最初からすべて読んでいたのかは分かりませんが、世の中への「打ち出し方」ひとつで、これほどまでに人が動く。これはもしかすると、学芸員の方々の努力だけでは限界があるかもしれないと思ったりします。
石堂:多分そういう打ち出し方ができるのは、時代を読めるクリエイターのような存在かもしれません。それは外部の人間でもいいですし、本来であれば、政治に携わる人々こそが一番に理解していなければならないものだと私は思っています。入館者数や予算といった数字の話以上に、社会が殺伐としてくればくるほど、私たちが手がけている仕事が重要なんだろうと。
先ほど話題に出た「刀剣乱舞」にしても、各地で展覧会が開かれ集客しています。しかし、その場所ならではの「見せ方」というのは、その館のキュレーター(学芸員)にしかできません。自分たちの持っているスペースを最大限に活かしきれるかどうか。そこが大きな要となります。
回ってくる展覧会の内容に興味があるか否かは人それぞれでしょうが、鑑賞した後に「見てよかった」「知ることができてよかった」と思えるかどうかは、運営側再度の手腕にかかっています。「回ってきたものだから、これくらいで見せておけばいい」と妥協するのはおかしな話です。しっかりと展示を評価し、課題を見せて次へ繋げていく。今の私たちの役割と課題です。その責任は非常に大きいと感じています。
「箱」の改修から「今ここ」の協働へ
美術館の未来は保存の使命と新しい表現を支える文化拠点に
板倉:佐川美術館は開館から30年を迎えます。30年前の美術館づくりといえば、まず「箱(建築)」をどう作り、その中でどう見せるか、というアプローチが主流でした。そして今、多くの美術館がその「箱」の改修の時期を迎えています。福井市美術館も同じような状況にあるのでしょうか。
石堂:おっしゃる通りです。当館も今年の7月から1年間、臨時休館いたします。実はリニューアルっていう言葉はちょっと使えないのは、具体的には照明のLED化とボロボロになってしまった空調設備の刷新です。今日お集まりの建築関係の皆様なら、建物にとってこれら「内臓」がいかに重要かお分かりかと思います。ものすごい金額がかかるものですから、当館の場合は7月から1年間かけて内臓である空調と電気の工事を始めます。
日本全国で改修が始まる時期に来ていますけれども、これからの美術館にとって本当に大切なのは、箱の改修そのものではなく、その「箱」と「ソフト(展示)」をどう組み合わせるかという点にあるはずです。どういうことに焦点を当ててその場所でしか見れない展示をするのが、学芸の腕の見せどころでしょう。
今、各地で「サイト・スペシフィック(その場所に帰属する作品や置かれる場所の特性を活かした作品)」や「コミッションワーク(個人・企業・自治体がクライアントとしてアーティストに新作の制作を委嘱する事例や協働)」という手法が注目されています。敷地を作って作品を買ってきて展示するんじゃなくて、作家に「この場所を与えるから、ここでしか作れないもの」を作ってもらう。その空間と結びついた作品は、体験として非常に強い印象を残します。
インターネット上に本物よりリアルな画像が溢れている今だからこそ、実際に足を運び、空間と共に作品を体感することの価値は、以前よりも格段に増しています。特に、幼少期にこうした「本物の空間体験」をさせるかどうかが、その後の感性や人生に大きな影響を与えるでしょう。
内海:私自身の経験を振り返っても、成人する前に見た展覧会のほうが印象深かったりするし、その時見た環境や状況が思い起こされます。今の若い世代、例えば建築を学ぶ学生たちを見ていても、すべてスマホで事足りると考えている節があります。スマホさえあれば情報は簡単に手に入るから、建築雑誌の部数は落ち込む。スマホの中にはちゃんとした図面の情報が入ってないもんだから図面を軽んじるし、そういう悪影響がじわっと効いてきていますね。
美術でも実体験を大切にするよう取り組みが全国であります。お金も時間もかかるけど、足を運んで見ようか、それでも「行ってみようか」と思わせる力。それにこそ今後の希望があるんちゃうかなと。
石堂:はい。なので新しいタイプのものが名所として出来上がってくると思うと面白い。私たち学芸員は、長らく耳にタコができるくらい「美術館はホワイトキューブ(無機質な白い展示空間)こそが理想である」と叩き込まれてきました。ホワイトキューブは、どんな作品にも対応できるフレキシビリティがあり、学芸員の度量や腕次第で空間をいかようにも変えられるという利点があります。一方、やはり没個性的でつまらない部分、「賛否両論の意見を戦わせる場を作らない」という点で、物足りなさは感じています。
これからの美術館のあり方を考えると、今や芸術祭は街や都市の中に飛び出し、作家たちも「箱もので勝負する」時代ではなくなってきています。作品を「形」として残すことよりも、その場の環境に応じて人々にどのような影響を与えるのか、それが成果であるという考え方が強くなってきています。
そうなると「箱もの」としての使命はなにか。未来永劫残していかなければいけないものをきっちり守る美術館・博物館が必要です。原点である収蔵・保管・展示の機能は絶対的に残さなきゃいけない。
作家からすると、表現を展開していく場所がどんどん増えてきています。今度はキュレーターや行政サイドがどうかかわっていくかも問われています。まずそういった機会を与える、チャンスを与える、支援する。展開の両面を併せ持たないと、これからの時代、文化の運営はできないと考えています。
「これがいい」というものがない、それが文化芸術でもあります。色んな人が色んな意見を言い合える場所と機会を増やしていくことが必要です。

文化が持つ「人を惹きつける力」への希望
内海:石堂さんのお話を聞きながら思い浮かべていたのは、やはりベネッセアートサイト直島の例です。安藤忠雄さんも福武總一郎氏さんも「あんな場所で成功するはずがない」と言われながら、今や世界中から人々を呼び寄せていますよね。あのような成功例があることは、私たちにとっても大きな希望です。まあお金持ちが文化芸術に費用を投資してほしいなという希望かな。経済的に厳しい時代ではありますが、文化が持つ「人を惹きつける力」を証明した素晴らしい先行事例だと思います。
板倉:ありがとうございます。実は午前中に内海さんと一緒に福井市内の建築をいくつか回ってきました。福井市美術館や、内海さんが敬愛している槇文彦さんが手がけた福井県立図書館、そして谷口吉生さん設計の福邦銀行成和支店です。内海さん、実際に見ていかがでしたか?
内海:とにかく、羨ましいほど素晴らしい施設ばかりでした。特に公園が非常に立派ですよね。図書館も市立美術館も、広大な公園の中にゆったりと建築が佇んでいて、非常に贅沢で素晴らしい空間だと感じました。
谷口吉生さんのデビュー作である福邦銀行 成和支店にも足を運びました。銀行の小さな支店なのですが、今も当時の姿を残しています。今日は休業日でシャッターが閉まっており、肝心な内部までは拝見できませんでした。いずれは取り壊されてしまうでしょうね。もしご興味のある方がいらっしゃれば、今のうちにぜひ足を運んでみていただきたいですね。
板倉:内海さま、本日は講演会・トークイベントにて、長時間にわたり貴重なお話をお聞かせいただき、誠にありがとうございました。石堂さま、運営サイドの裏話や内海さまとのセッションは大変興味深く、また急な出演依頼にも快くご対応頂きましたこと、心より感謝申し上げます。そしてご参加いただいた皆様におきましても、最後まで熱心にご清聴いただき誠にありがとうございました。
主催 (公社)日本建築家協会(JIA)福井地域会
後援 (一社)福井県建築士会、(一社)福井県建築士事務所協会
協力 芸術専門楽群((株)カウベル・コーポレーション)
写真提供 日本建築家協会北陸支部福井地域会(一部)

