BJ12。美術準備室。福井県内にある学校の美術の先生が2年ごとに開く展覧会です。「12」ということは24年経ったということかしら。
2023年1月8日(日)。この日は出展作家のトークがあるということで聴講に行ってきました。トークの内容を私なりにまとめておきます(ちなみにトークは翌9日にもありました)。
白﨑 徹さん
海に流れ着いた廃材を利用。流木はそれ自体、すでに魅力的なものである。流木でも2種類あることに気づいた。自然に流れ着いた木と、何かしら加工された木。それらを使い、一言で言うと私は「風景」を作っている。自分の中の片隅にある風景というものだ。もう一つ言えるとするならば「自然と現代人の関わり方を作っている」と思う。
今回のテーマ「境界」について、自分なりに考えて「空」を選んだ。空には境目がないのに、人間が航空領域など境目を作っていたりする。平面の2点は上方に掲げている。空のつもりで感じてほしい。
菜畑未来さん
学生時代は塑像で人物を作っていた。色に対してコンプレックスを持っていた。しばらく制作から離れていたが、描くことを再開した。3つの平面は「植物」をテーマにしている。特に一番右の作品は削ったり色を重ねたりしたもの。
最近、ガラスのキルンワークを学んでおり、色とクリアの関係について考えている。ガラスの皿は景色(風、雨、水面など)をイメージしたものだ。皿に名付けた景色は私なりの印象の言葉だが、見る人によっては異なるだろう。印象の違いが「境界」ではないかと思っている。
間所節夫さん
サブカル視点で話をさせてほしい。昔、仮面ライダーの悪の親玉に、ガニコウモルという怪人がいた。カニとコウモリが合わさった怪人だが、この怪人のことが頭の片隅にあり「ありえない何かと何かが合わさったもの」を描いてやろう、と考えた。しかし、絵の表現で自分がやりたいことはすでに誰かがやっている。ならば「誰かと誰かの間のモノをやろう」と思っていた続けたふしがある。
「境界」というのは、便宜上誰かが作った言葉だ。ここにある自画像は私が心身不調時のもので、鏡を見た時に死人みたいな自分を見て自分を描こうと残したものだ。
下段の大きな絵は、高校野球のテレビ中継で映っていた甲子園の観客席を拡大して作成したもの。写真を撮影して上から色を塗った。 「境界」というテーマは病を患った私そのもの。私自身、世界の境界にいるような感覚に襲われている。
吉川晶子さん
日本画で絵を描いている。3点の平面作品を説明すると、左の絵はコロナ禍のさなかに描いたもの。「いつになったらあちらの世界(明るい)に行けるのか」と思い、閉塞的な状況を娘をモデルに描いた。右の絵は、絵を続けている自分を見つめ直し、周囲がいてこそ、いろんな人のおかげで続けられていることに感謝をしたい気持ちを絵に込めた。「境界」があるなら取っ払ってしまおうと表現したものだ。
真ん中の作品は、墨と胡粉(ごふん=牡蠣・蛤・ほたてなどの貝殻から作られた白色絵の具)を使用した。胡粉はとても扱いにくく、濡れている時と乾いた時では色の出方が違う。胡粉は乾かないと色が出ない。その色の境目に面白さを感じる
『BJ12』は年末年始で年をまたいだ展覧会になるので「年の境目」を意識した。
高田慎也さん
日本海と自分の情景を意識した絵を描いている。雲肌麻紙にアクリル、岩絵の具を塗り重ねている。「空と海」という自然は、太古から時間が経過しているけれど、変わるものと変わらないものがある場所だと思う。
空の部分に箔を使用している。金箔は高額なので、真鍮の箔を使いゴールドの絵の具を乗せた。錫(すず)の箔の上にアクリルを重ねたものや、ピンクゴールドの箔を使ったものもある。空の部分に絵の具を乗せるかどうかが私の迷いの元だ。あえて乗せていない作品もある。
蟻塚知郎さん
見ての通り人型の彫刻が傾いている。傾きと重力は空間を支配する。なぜ傾いているのか。それはたぶん僕が人を不満の目や歪んだ目で見てしまうからだろう。像が歪んでいるのではなく、自分が歪んでいるのでないか。「正しさとは何だろう」と考えてしまう。
自画像を出してほしいということだったので、僕は自分の手を自画像として展示した。「手」は木彫ではなくセラミックである。人は自分の顔を自分で見ることはできないが、自分の手を見ることはできる。内省したい時に僕は自分の手を見る。だからこれは僕の自画像だ。
彫刻作品は寄木からは作らない。寄木にする必要性を感じないから。一木(いちぼく)の中に中身がパンパンにつまっている木の感じが好き。一木で作ることができるシンプルさが僕には合っている。
下﨑滋彦さん
貴重な笏谷石(しゃくだにいし)を素材に、時間をかけて彫刻刀で彫っている。木の上に載せると人の形になるのが不思議なのだ。最初、木材は台座のつもりだったがそのうち接ぎ木遊びに変わっていった。
顔を乗せて「ちょうどよく人の形に見える、ちょうどよいところ」を探して作っている。木と石をつなぐところも、どこまで許してもらえるのか、人に見えなくなる場所はどこまでか、どこまで離せばいいのか、と…私は「調和と違和感、その境界」を探している。作品制作において「ここでとどめておく力」「力の止め方」の境界を探っている。
私は作家としてのアプローチから美術表現に携わるかたと知り合うので、今回出展のかたがたがたまたま美術の先生だったということが多いです。BJ展、初めて出会う作家さんが増え、素材も表現もさまざまでバリエーション豊かな展覧会でした。
平面に加えて彫刻などの立体作品が飾られると空間がぎゅっと引き締まります。トークショーではそれぞれ「境界」というテーマについて解釈を述べていて、制作の考え方を知ることができました。「自由に観ていい」という前提だとしても観ただけでは真意は伝わらないもので、作家の言葉が加わると味わい深さが全然違います。
欲しいと思った作品は5点くらい。作品のコンセプトというより色や構成のバランスと最後は直感です。「色や構成のバランス」って何なのよ、と自分に突っ込みを入れたくなる感想ですが、「ここが好き」というツボが人の中にはあるものです。
下﨑さんのコメントにある「ちょうどよい」センスはどこなのか、観る側にもギリギリの線があって、まさにそこが観客と作品と作家の「境界」なのだろうと、ふっと思いました。
(織田祐宏さんの作品は先祖の足跡を追って海外へ行くロードムービー的なものでした。すっかり読みふけってしまって撮影を忘れ、高橋はるかさんのエンボス作品はどの角度からも撮影できないものでしたので、掲載できていません)。
展覧会情報
BJ12 第12回美術準備室展「境界」
http://zoukeifukui.com/htdocs/?page_id=284
2022年12月25日~2023年1月9日 9時~17時(最終日は15時まで)
福井市美術館(アートラボふくい)
〒918-8112 福井県福井市下馬3-1111
サイト内の出展作家のリンクから詳しい紹介文をご覧いただけます。