東海道五十三次、といえば永谷園の「お茶づけ海苔」である。お茶づけの袋をあけると入っていたカード。あのカードこそ、歌川広重の東海道五十三次の浮世絵だった。ある一定の年齢から上の方に話すと「ああ、あの絵を描いた人か」と気づいてくれる。広重もよもや21世紀にお茶づけの付録になっているなんて思ってなかっただろうに。そのカード、どうやら最近復活したらしい。
お茶づけ海苔の歌川広重の東海道五十三次(枕詞が長い)が鑑賞できると聞いて福井市美術館へ向かった。これまで断片的に浮世絵を見ることはあっても、一気に見られる機会はなかった。さらに担当学芸員の河野さんの解説は、書ききれないほどのお話(というか裏話?)満載だった。
東海道五十三次は一点ものではない。最初に摺ったもの(版)から二回目以降に摺る版は、同じとは限らないのである。人や風景を足したり無くしたり、色を変えたりして版を作り直す。そのため同じ場所でも、絵が違っていることや、もともといた人が後の絵にはいない、ということもよくある。本展の平木コレクションは、初摺り(最初に摺られた版画)がすべて揃っているという貴重な浮世絵だ。東海道五十三次のオリジナルといってもよいだろう。
「なぜ版を変えるのか?同じ版を何度も摺れば手間がないのに」と疑問に思う。河野学芸員曰く「浮世絵師は一度描いたらそれだけの料金しかもらえない。単なる増刷では版元が儲かるだけで本人に収入はないから」と。ちょっとブラック企業な匂いの版元。それ以外に理由はあったようで、例えば『戸塚宿』では初摺りは馬から降りる絵だったが、次の版では馬に乗る絵に変わっている。これは降りるのは縁起が悪く、乗るほうがいいという声もあって後摺りで変わったようだと。「まるで間違い探し」というように展示会場では2枚ずつならべた展示になっている。この比較しながらの鑑賞が面白い。
本展で初めて知ったことは「広重ブルー」と呼ばれている青色のこと。広重の浮世絵を眺めていくと、青色で横一文字のぼかし刷りの背景に気づく。絵ごとに空や海のグラデーションに着目して鑑賞するのも見方のひとつ。
広重の浮世絵を見ているとある視点に気づく。それは俯瞰の眼差し。いったい広重はどこから見て描いた絵なのだろう。単なる風景画というより、どこかドラマチックな余韻のある構図も多い。人が川を渡っていく様子、亀や鷲の眼から見た構図は、ドローンもカメラもない時代にどうやってこの俯瞰能力を得られたのか、驚くばかり。また手前に対象物をどん!を描いて、奥に風景を描いているダイナミックなレイアウトは、現代のグラフィックデザインを一蹴するかのようで、ただただカッコイイ。
しかししかし絵をよく見ると、そこに描かれた人間を見ると、あれ、うまいとは言えない…? 河野学芸員「…たぶん、広重は人間を描くのが下手、いえうまいほうじゃないと思います」。ヘタウマ的な絵もあり、そういえばある浮世絵にはドラえもん(のような人)がいたような。「あと、広重って襲名されてて、昭和までその名前を継がれて版画も出していたんですよ」「広重は多分、東海道を旅してないんですよね、当時の旅のガイドブックを見て描いたと言われてまして」。「最後の京都の絵、まあ見てください…(意味深)」。河野さんから、さらさらっと何げにすごい情報が出てきた。
本展、東海道五十三次と江戸の風景を見て歩くと、東海道を旅した気分になれるのは間違いない。東京から京都まで新幹線でかかる時間と同じくらいの鑑賞時間だ。出口でおじさんが「2時間半もかかった!」と驚いていた。私も同じく驚きましたとも、昼に入って出てきたら夕方だった。
最後に平木コレクションについて伝えておきたい。
本展の冠にある平木コレクションとは、実業家平木信二氏によって所有されたコレクションのこと。戦前、浮世絵コレクションとして名を知られた「斎藤コレクション」「三原コレクション」「松方コレクション」があったが、戦後の混乱期にこれらのコレクションが海外へ持ち出される危機にあったという。そのとき流出しないように尽力したのが平木信二氏。平木コレクションは、斎藤、三原コレクションの二大コレクションを集大成して形成されたものだ。今日、日本で、福井で、広重の浮世絵に眼福を肥やせるのもこの方がいたからなのである。(平木コレクションについてはこちらを参考 平木浮世絵美術館)
平木コレクション『歌川広重の世界』~保永堂版東海道五十三次と江戸の四季展 は2018年9月2日(日)まで、福井市美術館にて。