「めんどくさいことをあえてやって、『あ、カッコいいじゃん』って言われたいんですよ」-切り絵作家・黒猫モモさん

機械、飛行機、クルマ、建物、街の風景など幅広い題材を切り絵作品にして発表する、福井県若狭町出身の切り絵作家・黒猫モモさん。巧みに刻まれた線、エアブラシや色の付いた紙をレイヤー状に重ねての着色など、その緻密な作風にはただただ感嘆させられるばかりです。

そんな感想をご本人にぶつけてみると、返ってきたのは「めんどくさいことをあえてやりたい」という答え。「😲!」ということで、神奈川県を拠点に活動する黒猫モモさんに、作家活動に至った経緯や制作の裏話をたっぷり伺いました。

-時代をさかのぼったところからスタートして、作家活動に至った経緯を伺っていきたいと思います。プロフィールを拝見すると、1989年、福井県若狭町出身とありますね。

生まれ自体は京都だったんですけど、父の実家が若狭町だったこともあって、2、3歳ごろに時に若狭町に引っ越してきました。だから子ども時代はほぼ若狭町育ちですね。

子どもの時は野山を駆け回るタイプでした(笑)。絵を描くのは好きだったんですけど、四六時中描いているというわけでもなく、天気が良ければ外で遊んでる方が多かったです。外で遊んだり、友達を連れ回して友達の家に集合したりして「ゲームしよう!」みたいな。わりと率先してみんなを引っ張っていくタイプで。

-美術部のような文化系の部活動に所属したご経験は?

(若狭町立)三方中学校で陸上部に入っていて、そのまま推薦入学で敦賀気比高校の陸上部に入ったんです。中長距離だったんですけど、三方中の時に駅伝大会の記録がちょっと良くて、それで敦賀気比高校から声をかけてもらってっていう流れでした。

それで、高校に専攻科目というのがあったんです。専攻科目は授業の一環で、たしか、英語、中国語、美術というグループがありました。当初は美術への関心はなかったんですけど、2年生になる時に先生に頼んで「美術専攻に行きたい」ってお願いして。それで専攻に入らせてもらって、デッサンとか色の付け方などを学ぶ時間があったんです。

-どういう心境の変化だったんでしょう? 陸上競技で推薦入学した学校ですよね。

絵を描くのはずっと好きだったので、本当はそういう方面に行きたいな、やりたいなって思ってたんです。だけど、推薦で行っちゃったんで部活が選べなくて。中学の時って、陸上部の友達や先輩が多かったというのもありましたし。

今、切り絵の活動をしているのに言うのもなんですけど、当時は自分のキャラではないなという思い込みがあったんですよね。だから、部活には入らず高校の時だけ美術専攻でやってたんです。

美術の道に興味はあったんですけど美大を強く望むほどの考えでもなかったし、親には「手に職を付けなさい」とも言われてたので、大学でなくて専門学校に行ったんです。柔道整復師、つまり接骨院の先生ですね。進学を機に京都に出て。

-美術分野に興味はあったけど、本格的に学んだりとか仕事にしたりという思いにまでは至ってなかったというわけですね。

資格を取って接骨院に就職して1年くらい働いて、次は鍼灸師の資格を取りたいなって思って今度は鍼灸の専門学校に入りました。柔道整復師で3年、鍼灸師で3年…ということで6年間専門学校に行って、鍼灸師の資格を取った後に京都で開業したんです。予約制でリラクゼーションと鍼灸という店を1人でやっていて。

『黒猫モモ』というのもこのあたりの経歴に関係していたりします。整骨院に勤めていたのでずっと黒髪で、ふだん着てる服も黒い服が多くて。そうしたら誕生日の時、黒猫を飼っている友達がその猫と私の似顔絵を一緒に描いてくれたんです。

それで、SNSを始めようと思ってユーザーネームを決める段階になって、黒猫とか桃太郎とかいろいろ考えて、苗字の百田から取った「モモ」を単純に組み合わせて『黒猫モモ』になって。それが切り絵作家として活動する時の名前にもなったという感じですね。

名前が名前なんでめっちゃ聞かれるんですけど、どっちかというと猫派というより犬派(笑)。犬も猫も両方好きなんですけどね。

-プロフィールには「ある日突然切り絵がやりたくなった」とありますよね。その「ある日の出来事」について伺ってもいいですか?

開業して1年目ぐらいの時、すごく暇でお客さんを待つ間に時間を潰せることがないかなって考えてたんです。それを考えてたのがたしか2016年頃の年明けごろで。私、毎年「今年の目標」みたいなのを作るんですけど、その時に「趣味を二つ作る」っていう目標も書いたんですよ。趣味の一つが切り絵で、もう一つがプラモデルでした。

切り絵そのものは知ってましたけど実際にやり方は知らなかったし、やってみたこともないから、道具とかやり方をネットで調べて一度やってみようみたいな感じで。

切り絵は結構難しかったんですけど、「あれ? 意外に面白いぞ」みたいな感触もあったんですね。最初のころはアニメや漫画を切り絵にして色を付けるというようなものを作ってて、 だんだんできるようになったから楽しくなって、それが続いている感じですね。親とか友達に見せても、「え、これすごい!」みたいなのもあったので。

-趣味の選択肢がたくさんある中で、切り絵を直感的に選んだ理由は何でしょう?

なんでなんですかね(笑)。

-それ、私に聞きますか(笑)。

絵はずっと描いてたんですね。似顔絵とか、友達の結婚式のウェルカムボードとかをクレヨンで描いたりして。そういうのを仕事にしたいなとはずっと考えてたんですけど、別に「頭一つ抜けた何か」になれるわけではないじゃないですか。

絵のうまい人はいっぱいいるし、そういうことを仕事にしてる人も多いですし。絵を描くのが楽しくなくなる出来事もあったりして、描くのをやめてしまったんです。それで何もすることがなくなって切り絵をやってみようと。描くのをやめて、2、3年後くらいのころだったかと思います。

切り絵って、基になる写真があったらその線の通りに切れば本当にそっくりになるわけじゃないですか。すごくうまい似顔絵が本人とそっくりというようなのと同じで。誰かにプレゼントした時、「え! これ切り絵!?」みたいな反応で喜んでもらえることも純粋に楽しかったんです。

-その体験が作家活動のきっかけになったと。

それで、「これを仕事にするんだったらどうすればいいんだろう」と調べたら、京都の伝統工芸で着物などを染める時に使う「型紙」というのがあることが分かりました。それで体験教室に行き、師匠(故・和田則昭さん)に出会うわけなんです。

当時、そういう型紙の体験をやってる所がそこしかなかったのかな。染め体験はいっぱいあったんですけど、型紙彫りというのがなくて。型紙を使った染めをやっている人が大半で、型紙彫りの職人さんは師匠を入れて2人しかいなくて。

-京都に2人ですか?

もうちょっといるかもしれないけど、当時、ネットに情報が出ている職人さんは2人しかいなかったですね。でも、実際のところ、仕事として型紙彫りをやってる職人さんってほとんどいないんですよ。手で彫るという需要がなくて。パソコンが使えるようになったら型紙を彫らなくても印刷できるんですよね。

昔からやっている染め職人さんはほとんど何十年も前から作られている型紙を持っているし、型紙彫りをやっているグループ自体が少なかったんです。

で、ネットで調べた時に2人見つかって、1人はテレビにもけっこう出ているような人だったんですけど、メールを送ってみても音沙汰がなくて。もう1人が体験教室をやっているというのを見つけて、とりあえずとにかく行ってみようと電話して。

私自身が平日動けたのと、体験教室も1日できるということだったので、平日に行ったんですね。そうしたら、私が抱いていた職人さんのイメージとは違うノリの軽い感じの人が出てきて。

-若い女の子来たし、ちょっといろいろ話したろみたいな(笑)。

そうそうそう(笑)。

でも、会った瞬間からけっこう波長が合ってて、すごく面白いおじいちゃんやなと思って。一緒に話してても、「わし、女の子大好きでな」みたいなことを言うタイプで、気楽っちゃあ気楽な人だったんですね。

それで、師匠の工場で初めて作品を見た時にものすごく感動して、私がやりたかったこととすごく近いなって思ったんです。型紙彫りもすごく楽しかったんですよ。教えてもらいながら、難しい型紙彫りを1日かけて一緒にやって。でも、1日では完成しなかった。

そうしたら、「完成するまでおいでや」みたいな感じに言われた上に、「わしは絶対に弟子は取らん主義やけど、なんか気に入ったし弟子になれや」とも言われてしまって。その言葉ががっつりとのめり込むきっかけになったわけです。

-師匠の方からそうやって声をかけてくださった。

型紙彫りしながら軽い感じで「やりたいなあ」みたいなことは言ってたんですけど、「弟子になりたい」とまでは言ってなかったんですね。ただ型紙にはすごく興味あったし、自分も切り絵をやっているから彫るのが面白かったし、「楽しいからやりたい」「弟子になれ」「はーい」みたいな感じで(笑)。

理由はともあれ、私のことを選んでくれたんだったら、それはそれでいいかなみたいな感じでしたね。今だからこそ「師匠のキャラはほんと、そういうところですよ」って言えるんだけど、作るものは本当にすごいんです。この人にしかできない技術で、この人じゃないと生み出せないものだなって思えるぐらいの作品で。

型紙彫刻の師 故・和田則昭さん(左)と

-体験教室に行く時点で、モモさんとしては「これを仕事にしていこう」と腹をくくるような思いはあったんですか?

リラクゼーションと鍼灸の店をやってはいたけど、将来的に型紙彫りというか切り絵を仕事にできればと思ってはいましたね。そのきっかけとして技術が身に付けばいいなって。京都やし、伝統工芸やし、何かできるんじゃないかなって。

とは言うものの、現実問題として全く職人がいないんですよね。京都も、世の中的にも、伝統工芸の職人は少なくなっているし、若い子が伝統工芸士になるにしても実務で十数年やらないとチャレンジができない。今の世の中で生きていくのに不可能に近いかなとも思ったんです。

師匠たちの若いころは儲かったみたいなんですけど、今や職人って年金をもらってやっている人たちが多い。伝統工芸の世界で続けている人たちって60歳を超えてる人がほとんどなんですよ。「若い人が育たない。そんなことをやるなら全然違うことをした方がいい」ってみんなが口をそろえて言うレベルなんです。

伝統工芸を推している行政自体もそれを分かっていないというか、「残したい」というわりに、真剣に状況を分かっているわけではないかなっていう感じも受けて。

-なるほど。伝統工芸を「食える仕事」にしていくのはなかなか難しいと。

でも、型紙彫りをやっていたことを生かせたらいいなという気持ちはすごくあったんです。師匠のやっていることとか、思いとか、教えてくれたものとか。どういう形にしろ先々まで続けたいなという思いはありました。

型紙彫刻というジャンル自体は師匠しか残せなかったものなので、そういう人がいたという証しをこれからも受け継いでいきたいんですよ。

-福井にも和紙や漆器などいろんな伝統工芸産地があって、若い人たちが「技術を受け継いでいきたい」と県外からその世界に飛び込んでいるという話も聞きます。モモさんもそういった意識はお持ちですか?

師匠としては「型紙彫刻をこの先の世代まで続けてほしい」とは思ってなくて、「切り絵でもなんでもいいから、お前が好きなことを続けていってくれればいい」というニュアンスなんです。型紙をやるとしても今の自分の技術じゃ師匠と同じようなことはできないので、切り絵の方が気持ち的にライトに向き合えるんですよね。

型紙となると取り組み方の姿勢も変わるし重みも違うので、師匠に教えてもらったことを切り絵で生かしながら、自分の技術が納得できるものになった時に型紙彫刻の世界を出していければと思ってます。

以前は「一つのことを極めるのが職人」と言われたこともあるんですけど、「二つのことを追うのも別に悪いことじゃない」とも最近よく言われるようになって。生き方の多様性が尊重されつつある世の中でもあるし、あるギャラリーの人から「二つのことをやるのは武器になるから」って言われて、「あ、そういうもんなんだ」という気持ちになれたんです。

型紙彫刻『標(しるべ)』(2021年)

-ギャラリーのかたの言葉を聞いて気持ちが楽になったと。

「伝統工芸のために人生を背負って」みたいな意識があるかと聞かれると、そこまでの意識はないんです。決められたことをやっても師匠を越えることはできないわけで。師匠が私にやってくれたことや、「こういうことを大切にしなさい」と言われたことがたくさんあるので、そういう教えを伝えられるようにしたいなと思います。

師匠に限らずお世話になった人がいっぱいいて、そこから学んだことがあったからこそ今のような色使いができるようになっているので、気負わず続けていく方が自分のオリジナリティを出せるのかなという気持ちですね。今は。

-師匠の和田さんのもとには何年くらい通っていたんですか?

4年間ほど通っていました。がんで亡くなって4、5年になるんですけど、通い始めて2年目くらいのときに倒れて、がんだということが発覚して。すべて教えてもらう前に亡くなってしまったんです。

生前、私のことを弟子だと言ってくれたのをご家族のかたも知っていて、師匠が亡くなった後に道具を全部譲ってくださったんです。「お父さんの名前、使っていいから」って言ってくれて。

師匠がいる間は京都にいようと思ってたんですけど、師匠が亡くなって「この先どうしていこうかな」って考えて。そうしたら、関東に出てきて作家として挑戦したいという気持ちになったんです。それが2020年の話です。

プラモデルを趣味にもしていたので、展示会に作品を出す時に切り絵も一緒に出してたんです。そうしたらたまたま、関東にある飛行機模型の雑誌(『隔月刊 スケールアヴィエーション』)の編集者さんが声をかけてくれて。「切り絵で連載してみない?」となったんです。その人のおかげで連載(「MOMOの航空切り絵ノート」)を持たせてもらって、作家としての一歩となったのは大きかったですね。

MOMOの航空切り絵ノートより『中島 G8N  連山』(『スケールアヴィエーション』2021年3月号掲載)

-横浜での個展『茶飯事?』(2021年)の案内をいただいた時、「モチーフがとてもユニークだな」と感じました。私の知っている切り絵の題材は自然界の物事というのが多くて、車、エンジン、建物、街の風景といったモチーフにユニークさを感じたんです。

トラス柄とか、電線や工場のごちゃごちゃした感じがすごく好きなんですよね。切り絵と並行して模型も始めたので、車やバイクのプラモデルもよく見ていましたし。機械的なものって、例えば橋なんかもそうですけど、街なかにいっぱいあるじゃないですか。だけどああいう題材って誰もやらない。めんどくさいですから(笑)。

めんどくさいことをあえてやりたいというか、言い方はなんですけど「こいつバカだな」って思われることをあえてやって、「あ、カッコいいじゃん」って評価されたいような気持ちがあるんですよね。

-ハコスカ(=日産の3代目スカイライン)を切り絵にした作品もありましたよね。たしかお父さんが乗っていらしたとか。

父に「ハコスカってカッコいい」っていうのをずっと聞いていたのも、カッコいいものに憧れるきっかけになりましたね。親の世代って、どストレートにカッコいいのが好きだった人が多い世代なので。今もそういう年齢層の仲のいい知り合いが多いんですよ。模型のような趣味の世界だと、50代とか60代の人が多くて。

カッコいいものに憧れる気持ちっていうのが小さい時からあったんですね。以前はバイクにも乗っていましたし。女の子らしいものよりも、お兄ちゃんとかが遊ぶような男の子遊びの方が好きだったので、そういうものに心引かれるっていうのがあるかもしれないですね。

-今年(2022年)は初めて東京・銀座で個展『光彩夢幻』を開いてますよね。手応えはいかがでしたか?

銀座にある『ギャラリーあづま』(東京都中央区)での個展『光彩夢幻』の様子

初めてすぎて緊張しましたね。いつもやっている個展とちょっと違う雰囲気でもあったので。とはいえ、新しく私のことを知ってくれた人とか、いろんな人に私の作家活動を見てもらえたかなという手応えは感じます。

自分がやってる切り絵が、みなさんが想像しているような切り絵とは全然違ったみたいです。「今までに見たことのない、色が付いている切り絵というのが面白い」と言ってくださる人がけっこういらっしゃったという印象です。

-エアブラシで色を付けたり、他の紙や他の材質を組み合わせたりして着色するという手法は、一般的な切り絵とは違うんですか?

多分違うんじゃないかなと思います。透明感のあるものは多いかもしれないんだけど、メタリックな質感を伴う作り方はあんまりしないんじゃないかと。切り絵って基本的に白黒というか、1枚の紙を切る技術を見せることが主眼にあるので、そこにいろんな色を付ける作風は少ないかもしれないですね。

-そういった技法は自ら編み出していったものなのか、師匠の和田さんの影響なのか、どちらなのでしょう?

1枚の切り絵に風を感じさせるような柄を入れる作品は、私に型紙彫りを教えてくれた師匠が好きでやってました。そういう作品は師匠の影響があるんですけど、着色する作品は私がプラモデルを作る時の経験を生かしていたりしますね。

-それにしても、「めんどくさいことをあえてやりたい」っていうのは意外な答えで

絵もそうなんですけど、普通にみんながモチーフにしているような当たり前のものをやっても頭一つ抜けられないじゃないですか。うまい人もいっぱいいるし。だから、個性を出していくんだったら誰もやらないことをやった方がいいのかなって思ってるとこもあって。差別化というかブランディングというか。

当たり前をやらないという点では、みんなが当たり前のように目にしているけど作品として取り上げない場所や物などにも目線を当てるようにしてますね。

『閃々(せんせん)キャデラックエルドラド』(2022年)

-ところで、1日の生活の中で、創作の時間とそれ以外の時間、それぞれどのようにメリハリをつけてるんですか?

作品作りは毎日やってます。1日でどうだろう…平均5時間くらいは紙に向かっているんじゃないかな。作業に集中できるので夜の時間帯がメインですけど、暇な時にももう四六時中という感じで。

今の住まいにテレビがないんですよ。京都からこっちに引っ越す時におばあちゃんにあげちゃって。以前からテレビを見る習慣があんまりなくて、切り絵の作業みたいにごちゃごちゃやっている方が好きなのでただ楽しく無心に作品に向き合えるんです。作業をしている時はストレスをあまり感じないですね。

-今の「無心」に関連して、10代の頃になさっていた陸上競技との関係性ってあります? 走っている時も無心になるわけでしょう?

全然ないです、全然。走るのは実は好きじゃなくて(笑)、本当は球技をやりたかったですもん。走るのはもう一生分くらい走ったので、 今は趣味でも走りたくないんですよ(笑)。マラソンを趣味にしている友達もいますけど、私は「もう当分はやらない」って決めてます。走っている時は、しんどい思いばっかりで。

絵を描いたり切り絵を作ったりするように何かに夢中になっている時の方が、無心という感情によりなれますね。なんか、こちゃこちゃやってる方が好きなのかな。

-ありきたりな表現になっちゃいますけど、「寝食を忘れて」みたいな。

切り絵を始めた時はそうでしたね。20代後半あたりは徹夜してもしんどくないくらいずっとできたんですけど、30歳を超えたら体調が変わっちゃって。周りの人たちから「30歳を超えると体調に現れるよ」って言われてたんですけど、あれって本当ですね。もう徹夜できなくなって、「あーやっぱ、しんど」って(笑)。ほどほどに遅くならないように、できる範囲で頑張るみたいな感じにはなってます。

-体調管理という意味で、何か習慣にしている日課みたいなのってあります?

ないですねえ(笑)。

-それって、「医者の不養生」ってやつじゃないですか(笑)。鍼灸師がそんな…

そうなんですよ、他の人のことは診られるんですけどね。来年こそスポーツをしようという気持ちはあるんですよ。なんかスポーツやらないとダメだと分かってるんですけど、周りで一緒にやっている人たちが減っちゃったので。以前はスノーボードとかやっていたんですけど、私も移住したり、友達も結婚したりと環境が変わってしまって。

出会う人がインドア系というのが多くなってきているというのもありますね。ますます外に出なくなっているなあというのはあるので、ちょっと今後の課題にはなりますよね。実家にいたら運動すると思うんですけどね。

-実家の話が出たところで、(2022年)11月の個展について触れていきましょうか。若狭町の風景をモチーフにした作品も並ぶとのことですが、タイトルの『越鳥南枝(えっちょうなんし)』に込めた思いについて聞かせてください。

『越鳥南枝』は、故郷を懐かしんで忘れがたく思うことをたとえる言葉で、南に向かって伸びている木の枝に巣を作ることに由来しているそうです。つまり「故郷を思う」ということなんですけど、都市に出てきた人にも同じように地元に思いをはせる瞬間があると思うんですよね。作品を通してそういう瞬間を伝えられればと思って、今回のタイトルにしました。

私の個展タイトルって基本的に四字熟語で、いろいろ考えた中で『越鳥南枝』が一番イメージに近かったので選んだという感じですね。今までは地元についてそんなに強く思ったことはなかったんですけど、いろんな地域に住む経験を重ねて、帰れる場所があるっていいなってものすごく実感したんです。当たり前だと思っていた風景がすごくきれいで、ものすごい世界で育ったんだなって。

たしかに地元の若狭町は田舎で何もないところだけど、「何もなさ」がすごいんだよって伝えたい気持ちがあるので、その良さを伝えていけるように何かしていくべきじゃないのかなって気持ちが湧いてきてるんです。

JR小浜線 十村駅(福井県若狭町)を題材にした『途次(とじ)』(2022年)

-コロナ禍の時に関東に移住して、そういう思いがより強くなったと。

そうですね。それと、京都の人は福井のことを結構知ってたりするんですけど、関東に出てきたら「行ったことがない」「名前は聞いたことあるけどよく知らない」という人が多いのも分かって。そういう人たちに地元を紹介できたらというのもありますね。

地元の風景をモチーフに、鳥というキーワードを作品の隠し要素にもしているので、探す楽しみみたいなものも感じ取ってもらえたらと思ってます。

-今回の個展では、何か新しい試みを取り入れたりするんですか?

私自身の作品に加えてコラボ作品も展示します。京都で一緒にやってた同世代の「佳曄(かよう)」さんという書道家の女の子がいて、その子とのコラボで鳥をテーマした作品を数点出すことになりました。

佳曄さんとは京都でたまたま出会って、それから3、4年になるのかな。長崎出身で同い年で、子どもの時からずっと書道をやっていて先生のような仕事をやりたかったそうです。彼女も東京への移住は考えたみたいなんですけど、コロナ禍の影響などもあって移住はかなわなくて、京都で書道も続けています。

住む場所は離れてしまったけど、私の個展の時に実演をやったりした時にすごくしっくり来たという記憶が忘れられなかったし、彼女の書く文字もすごく好きなので今回のコラボになりました。活動拠点が違っていても、一緒にできるんだったら場所はどこでもいいなって。DMにある『越鳥南枝』というタイトルも書いてもらってますし。

『越鳥南枝』の案内DMより

-11月に個展があって、年を越して2023年の活動に入っていくわけですが、最後に今後の展望などをお聞かせいただければ。

地元のかたに私の作家活動を少しずつ認知してもらっているので、福井での個展は実現させたいですね。銀座での個展の時も、若狭町出身の人たちが集まっている県人会みたいなグループにメールを送ったら、何人か来てくださったりもしましたし。

私が卒業した敦賀気比高校の先生も応援してくれています。関東で私がこういう活動をしていることを知っていただいているので、地元をモチーフにした作品の発表とか、何らかのタイアップをしたりとか、関東で活動している意義みたいなものを発信していければと思っています。

-来年の正月、2023年の目標を書く時には「福井で個展」と、ぜひ。実現に向けて応援してます!

プロフィール

くろねこもも

1989年生まれ、福井県出身。18歳より京都に移住。ある日突然切り絵を始めたくなり独学で学び始める。切り絵を通じて、京の伝統工芸である型紙彫刻に触れ、伝統工芸師に弟子入りして型紙彫刻を学ぶ。機械、飛行機、車・バイク、建物…など、人の手で生み出されたものを、伝統的な技術を用いて切り絵に落とし込んでいる。エアブラシを用いた調色や、和紙などさまざまな種類の紙を組み合わせた、鮮やかで深みのある色合いが特徴。

「カッコいいものを切り絵の手法で残していきたい」という想いで作品を生み出し続けている。より一層切り絵に専念すべく2020年に上京。切り絵ライブなどの新しい表現方法に挑戦しながら活動を続けている。

展覧会情報

黒猫モモ切り絵展『越鳥南枝 故郷を想う』
2022年11月21日(月)~27日(日) 11時~18時 入場無料

アートギャラリー・アウル
〒231-0868 神奈川県横浜市中区石川町1-54-5
https://gallery-owl-yamate.com/

アートギャラリー OWL(アウル)
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この記事を書いた人

MORIKAWA Tetsushi(森川徹志)

小学生の頃、親が定期購読していた『暮しの手帖』で雑誌作りの面白さに目覚める。アートに興味を持ったのは、20代の時に関わった情報誌の編集がきっかけ。時代や作家などを問わず幅広く鑑賞するタイプだが、なんとなくの傾向としてデカくて一瞬で「うわっすげえ!」と思える作品が好き。アイドルソングDJ・teckingとしても活動中。

When I was in elementary school, I found it interesting to make a magazine with 'Kurashi no Techo' which my parents subscribed to. I became interested in art when I was an editor in my 20s. I appreciate art works of all ages and artists, but I like large works that surprise me by saying, "Wow, that's amazing!". I am also active as an idol music DJ tecking.