旧庁舎から新しい体育館へ。絵は場所を変えて生き続ける。-小野忠弘壁画

たまたま県営体育館へ入る機会があり、エントランスから体育館に入る通路に見覚えあるの壁画が。「…もしかして!あの子がここに…!」と胸熱の私。その壁画は、数年前に取り壊しが決まった旧坂井市三国庁舎(三国町役場)で見かけた作品でした。当時は建物の取り壊しが決まったものの壁画の行先は未決定という情報だけで、その後行方知れずだったのです。美術作家・小野忠弘さんが原画を描いたという壁画です。「しかし、どうしてここに?」と疑問に思い、移設に至った理由とそもそもの絵について調べることにしました。

便宜上、次の呼称で掲載します。

「人と自然」(仮題)1973年制作 福井県営体育館 撮影/飛田桂一(トビタフォトグラフィックス)

赤の壁画……旧三国庁舎(元の三国町役場・坂井市三国町)にあったもの。庁舎エントランス上部の吹き抜けにあり、議員が出入りする部屋の渡り廊下の壁にあった。

「太陽と平和」(仮題)1967年制作 福井県営体育館 撮影/飛田桂一

青の壁画……旧三国土木事務所(坂井市三国町)にあったもの。

作品名「太陽と平和」(仮題)1967年制作
左側の赤い円は輝く太陽を表し、右側の六角形を芯とする円は福井県を表しています。福井県が太陽に照らされ、健やかに歩んでほしいという願いが込められています。(福井県三国土木事務所から移設)

福井県営体育館に掲げられている説明文

もとからそこに置かれていたのではないか
ぴったりと2つの壁画が収まっている

福井県営体育館へ壁画について問い合わせると、県のスポーツ課を紹介されました。県庁へ出向くと、たくさんの資料を準備して小栁(こやなぎ)さんが待っていてくれました。

小栁さんは当時の担当ではなかったけれど、▽赤の壁画は旧三国庁舎から移設したもの。県営体育館のオープンと福井国体に合わせて設置ができたこと▽青の壁画は旧三国土木事務所にあったもの という有益な情報をくれました。

しかし青の壁画って、私初めて知りましたけど…?

「土木事務所にあったので一般の人は知らないでしょうね」と小栁さん。小野忠弘さんの壁画が2つも、計算ではなく偶然に横に並ぶなんて驚きです。
「ご覧になるとわかりますが、もともと最初からそこにあったのではないか、と思うくらいおさまりがいいんですよ。ぴったりはまっています。もし2つの壁画がなかったとしたら、今でこそさみしいでしょうね」と感想を語ってくれました。
(お話をしてくれた人:福井県交流文化部文化・スポーツ局スポーツ課スポーツ交流グループ総括主任小栁勝さん)

旧三国庁舎で設置されていたときの赤の壁画 写真提供:赤土善藏氏

小野忠弘 1973年制作
壁画中央は三国町のシンボルを花柄模様で捉えたもの。横の縦壁面は住民構成をデザイン化したもの。床は風光明媚な三国の海の波をデザイン化したもの

三国支所に設置されていたときの説明文
福井県営体育館に移設された赤の壁画 撮影/飛田桂一

作品名「人と自然」(仮題)1973年制作 
人間にとって自然が大切であることを表しています。自然と人間が共生することによって平和な世界を築けますようにという願いが込められています。(坂井市役所三国支所から移設)

福井県営体育館に掲げられている説明文

解体設計を請け負った施設にあった小野作品
当時の原画を持っていたことが功をなす

三国町出身の建築家・赤土善蔵さんは、壁画の原画を作成した美術作家・小野忠弘さんと親交をお持ちでした。壁画の謎について迫ろうと、福井市にあるアトリエを訪ねました。

―青の壁画と赤の壁画、2つに関わっていらっしゃいます。移設に尽力されたと伺いました。

青の壁画は、旧三国土木事務所を取り壊す際に、その下調べの依頼が私のところへ来ました。建物を取り壊す際には、取り壊すための解体設計というのものが必要で、私の建築事務所が請け負うことになったんです。見に行って調べたらそれが小野忠弘さんの作品だと聞いて驚きました。作家名もタイトルもなく、50年近く経っていた上、どなたもごぞんじではなかった。「壊したら無になる、どこかに保存できないか」と思っていたんです。

下地を調べると裏が取れやすい構造だと分かり、専門業者(福井市の児島タイル店)に依頼して剥がしてもらいました。このときは、すでに県営体育館への移設が決まっていたので作業はスムーズでしたね。

―赤の壁画は移設場所が決まらずにいたと聞きました。解体の記事を見て、私も三国庁舎へ見学しに行きました。

私は新しいみくに未来ホールを設計したのですが、その建物のエントランスに赤の壁画を設置するイメージ図を提案しました。残念ながら予算上、実現が難しく断念しました。タイルの設置は剥がすのも貼るのも相当な金額なんです。

しかし、この作品は地域が誇るべき大きな宝であり、小野さんが三国に残した仕事です。庁舎という誰もが出入りしていたところに置かれていたもので親しみもある。なんとか剥がす予算だけいただき、いつでも設置できるよう保管をしておきました。

坂井市も設置場所を探してくれましたが、なにしろ縦にも横にも大きなサイズでしたから、ぴったりと入るスペースが坂井市内の施設では見当たらなかったんです。

ちょうど、たまたま私が西川前福井県知事と会う機会があり、小野忠弘の壁画について話すと彼が重要性を理解してくれたのです。県の施設で設置できる場所を探してくれ、奇しくも青の壁画の隣のスペースに置くことが決まりました。

―青の壁画は、解体設計の担当が赤土さんだったから重要性に気づき残せたのですね。赤の壁画は、赤土さんがみくに未来ホールの設計を行い、かつ県の方に話をしたことから残すことができた。“たまたま”“偶然”が重なっているように見えますが、私には赤土さんが運命的な役割を担い、然るべきしてそうなったと感じます。

紙を切り貼りした絵のようですがタイルです。撮影/飛田桂一

―赤土さんは、赤の壁画の時に小野先生とお仕事をされたのですか?

いやいや、三国庁舎を建てた頃、私は当時20代で、駆け出しでしたから(笑)。壁画を依頼するなら小野忠弘さんに、となったのは覚えています。(この後、「ギャラリー汎」の話に及びましたがまた次の機会に)

描かれている模様について何を表しているかご存じですか?

キャプションには三国の様子と書かれていますね(笑)。私の憶測ですが、当時小野さんは南米旅行から帰国したばかり。一方、当時の三国の港町はまだ花街の色が残っていたんです。華やかな着物を着ている女性もいて、その花と南米の色とをイメージさせたのではないでしょうか。実は小野さんが部分的に油絵で直接色を付けたところもあるんですよ。仕上がってから筆で上から塗ったのでしょう。

―近くにいた赤土さんならではのお話です。かつての三国の街の風情を思い起こさせますね。再現できたのは、赤土さんが重要な書類をお持ちだったから…と?

特別にお見せしましょう(笑)。小野さんが描いた壁画の原画です。旧三国庁舎にあったときは、換気口の穴がついていて、その部分の絵が分からなかったのです。私がこの原画を持っていたことで、換気口のところの本当の図面が分かり、それで再現できました。

―これはすごい!資料保管の大切さを感じられる貴重な資料です。

私は旧森田銀行本店(坂井市三国町南本町)のリニューアルにもかかわりました。当時の議員の中には、価値を知らずに金がかかるなら「壊してしまえばいい」という声もあったんです。その方たちは、仮に世界中が注目する億単位の絵画や古美術が自分の家の地下から出てきても「たいしたもんではない」と同じことを言うのでしょうか。地域の宝とは、お金を稼ぐ経済だけではないはずです。私は何とか説得して、三国の宝になるように努めてきました。

―芸術作品は理解を得られない部分も多くあり、見る人の価値観や教養を試される作品もあります。今の技術でも再現できないこともしばしばです。数年後、数十年後に、残しておいてよかったと思える壁画、建物であることは間違いないです。

(お話をしてくれた人:建築家・写真家 赤土善藏さん http://www.z-akado.co.jp/home )

旧三国土木事務所に設置されていたときの青の壁画(写真提供:三国農林土木事務所)
福井県営体育館に移設された青の壁画 撮影/飛田桂一

50年経っても元の色がよみがえるタイル
タイルだから残存した、それが誇り

実際に剝がして貼る作業をされた児島タイル店の児島利彦社長に取材を申し込みました。

―児島タイル店さんは、赤の壁画も青の壁画にも関わったそうですね。“移設は慣れたもの”だったのでしょうか?

いえいえ、50年近く経った壁画を剥がし、移設するのは実は初めての作業でした。それぞれに試行錯誤して行ったんですよ。

下準備

  1. 壁画に30センチ×30センチの枠で糸を引く。
  2. 糸を引いた状態で、30センチ枠の中の壁画を撮影する。
  3. 写真に映ったタイル1枚1枚に番号をふり、書き込む。
  4. シールに同じ番号をふる
  5. 3と同じタイルの場所に4のシールを貼る。
  6. 番号シールを貼った壁画の状態を撮影する。

30センチ角で赤い糸が引いてある。写真撮影して拡大、写真上でタイル一枚ずつに番号をふった状態(写真提供:児島タイル店)

剥がしてまとめる

  1. 小さなチャック袋に番号を書き、番号分だけ用意する。1タイル=1袋。
  2. シールが付いたタイルを一枚ずつ剥がす。
  3. 剥がしたタイル1枚と同じ番号のチャック袋に入れる。
  4. 30センチ枠で1コンテナで1グループ、チャック袋をまとめる。
割らないように1枚ずつ削りながらモルタルごと外す作業(写真提供:児島タイル店)

タイル洗浄

  1. タイル裏についているモルタルを剥がすため薬品に漬ける。
  2. きれいな状態にしてチャック袋に入れ状態を保つ。
薬品に漬け、裏のモルタルを剥がし、タイルの色を再生する作業(写真提供:児島タイル店)
番号のついた袋と、番号を貼られたタイルを一致させ、グループごとに保管(写真提供:児島タイル店)

タイル貼り&設置

  1. 体育館の半分ほどの大きさの、床の広いところに土台を作る。
  2. 実物大に写真を引き伸ばし、30センチで1シートの紙の上に番号に沿って手でタイルを並べる。
  3. 全部貼ることができたら、30センチ枠で切り離し、その状態を保って箱に梱包し、現場へ運ぶ。
  4. 貼りたい壁の前の床に再度(3)を組み上げておく。
  5. 厳密にはかり、貼り付け。継ぎ目が見えないように処理をして完成。
青の壁画の部分。撮影/飛田桂一

―お聞きするだけで相当な作業量で、しかも人数を限っているのですね。

人手が多いと、どのタイルなのか、どこのタイルなのか、分からなくなりますから。剥がすのは基本的に一人(交代あり)。貼るのは連続してできる二人と限定しています。

―作業での大変なことをお話しください。

まず、剥がすところですね。タイル裏についているモルタルを歯医者さんが使うようなペンシル状の砥石付きの器具で削りながらするんです。

青の壁画は、ある一角がどうしても剥がれなくて、壁ごと剥がしました。壁付きを持ち帰って作業しました。

赤の壁画は、これまた剥がれなくて。歯ブラシに薬品を塗り、目地に染み込ませて剥がれるのを待ちました。1週間くらいかかったかな。薬品といっても酸ですからね、マスクとメガネをして顔を覆い、服にかからないようにしっかり防御して取り組みました。

タイルを会社に持ち帰ってからも大仕事で。今度はタイル裏をきれいにして通常に貼れるタイル状態にしないといけない。そのため再度薬品に漬けるんです。一枚ずつ漬けてピカピカにして、間違えないように袋に入れて。剥がれないものもあったから相当時間がかかりました。

微妙に違う黄色タイル、赤や青のタイルは新しく入れたように見えますが、違うんですって。当時の色そのままだそう。撮影/飛田桂一

―やってみて、驚いたことはありますか?

50年前の壁画を剥がして洗浄したら、元の色が出てきたことですね。本当に美しい色になった。タイルは何十年経っても劣化しないと証明されたようなものです。

―再現とは難しそうに思えますが、実際どうでしたか?タイルの剥がれや欠けはなかったのでしょうか?

素晴らしいことに、青の壁画のあった旧三国土木事務所さんは、剥がれたタイルを保管しておいてくれていたんです。だから欠けることなく再現できました。

赤の壁画は、旧三国庁舎にあったときに換気口の取り付けがあったので穴が空いていたんです。赤土先生が原画をお持ちだったので、それを見ながらやりました。

ただ、当時のタイルが揃っているわけではありません。現代のタイルも合わない。それならとその隣にあって仕方なく壊す予定のタイルの中で、色の近いものがあったのでそれを再利用しようと考えたのです。また、壁画も全く同じサイズでの移設ではなく、違和感ない程度でサイズを縮め、はみ出た分のタイルも再利用しました。

複雑な模様も当時のままに。撮影/飛田桂一

―縮めて色を節約、ほかの場所からのタイルを再利用とは!いろいろアイデアを駆使されたのですね。児島さんはどのようなお気持ちで関わられたのですか?

赤土さんから小野さんのことは聞いておりましたし、作品のことをも知っていました。私どももどうしても残したいという気持ちがあり、初めての作業ですが挑戦しました。タイルを復元させる多治見市の会社は、全国からオファーが来る有名な会社です。たまたま私どもが昔から古い付き合いでしたので、いろいろと教えてもらうことができました。とにかく気を付けたのは、ひとつずつ無くさないこと、割らないようにすること、でした。

50年前のものがきれいに残るのは、タイルだからできたことです。タイルの良さを見直してくれたらうれしいかな。あと50年、次の国体があるまで残ってくれるでしょう(笑)。あ、保存ですが、汚れがついたらからぶきをしてくださいね。

―お手入れまで教えてくださり、ありがとうございました。

(お話をしてくれた人:有限会社児島タイル店 代表取締役社長 児島利彦さん)

雪の中、うっすらと福井県営体育館の中から見える青の壁画 撮影/飛田桂一

小野さんと家が近所だから頼んでみよう
地域の縁からの依頼が財産に

旧三国土木事務所にあったことは、一般の人が出入りする事務所ではないのでなかなか情報が集まりませんでした。小野忠弘さんを知る方も「そこにあったとは知らなかった」と口を揃えます。ということで、現在の福井県三国土木事務所(福井県坂井農林総合事務所内)さんに伺いました。

―設置した経緯はご存じでしょうか?

平成28年6月に県庁OBの池上さんに話を聞いた記録があります。それによると、

三国土木事務所長が庁舎新築記念に絵画を小野忠弘さんに依頼しました。小野先生宅と近所に住まいを持つ県庁営繕室に在籍していた職員(池上氏)が間に入り作品を依頼したそうです。絵画(エスプリオブセット)1点と恒久的に残るものということでモザイクタイル壁画1点の合計2点を制作していただきました。

―作品は2点あったのですね。県立体育館への移設は最初から決まっていたのですか?

三国土木事務所庁舎解体に伴い壁画の移設先を検討した結果、候補は何ヶ所かありましたが、新しくできる県営体育館(エントランス)は明るくて壁面が映えるのではと決定しました。絵画は、現在も坂井合同庁舎1階ロビーに展示していますよ。

(お話をしてくれた人:福井県三国土木事務所 総務課さん)
※エスプリオブセットとメモが残されているが技法か何かは不明

取材を終えて

旧三国庁舎の取り壊しと小野忠弘さんの壁画の話を聞いて見に行きました。取り壊す過程を公開してくれ、とても良い見学になりました。なかなか見られない作業風景でしたから。その時若いお兄さんが一枚一枚手際よく剥がしていましたが、児島さんの話を聞いてそれはタイルを扱える技術力と忍耐が必要なことだと知りました。あのお兄さんの正確な剥離によって再現できたのです。

解体の時の様子。お兄さんがひとりでコツコツ作業中でした。2017年旧三国庁舎にて撮影

一転、新天地に置かれた作品は、本当に違和感のないくらいのマッチしていました。寒色系の色合いの体育館屋内エントランスに、赤がとてもきれいに映えていました。三国町に置かれていたときは、三国の街をイメージしたものと説明にありましたが、新天地では、スポーツをする選手の華やかさや、気持ちの高揚感を表しているようにも思えました。そして、おかれる場所によって、作品が放つ意味が変わることがあるんだなと気づきました。場を移しても、見る人がその場にふさわしく思える作品というのはすごいことだと感じます。作家によっては「そういう意図ではない」と言うかもしれませんが、小野さんは喜ばしく思ってくれる方ではないかと勝手に妄想します。

同じように青の壁画も、きれいな円状の幾何学模様は、スポーツ選手の美しく正確な動作を表しているように見えました。そのためか青いタイルが一層クールに見えます。青色だけではなく、近づいてみると黄色や赤色も使われているんですよ。説明文を読むと福井県を表現しているようですが、体育館にあるとそうとは思えない。解釈は観る人に委ねられています。

今回の取材は、私が見つけたたまたま(体育館へ行った)、赤土さんのたまたま(解体設計の担当だった)、児島さんのたまたま(多治見の会社と付き合いがあった)、が交錯しました。そもそもは、池上さんが、たまたま(小野さんの近所に住んでいたので)頼んでみよう、という依頼だったのでしょう。偶然で片付けるのは簡単ですが、このたまたまはすべて必然でしょう。私としては「小野忠弘さんに呼ばれたな」とひそかに思っています。

壊す前の三国庁舎には、ほかにもこんなに素敵な小野デザインタイルがあったんです。タイルブローチにしたかった。

展示場所

福井県営体育館
福井市福町3-20(福井運動公園内)
壁画は正面エントランス内にあり。施設開館時は見学無料。月曜休。

福井県営体育館

プロフィール

小野忠弘(おの・ただひろ/Ono Tadahiro)1913~2001

1913年青森市弘前市生まれ。東京芸術学校彫刻科卒(現・東京芸術大学)。1942年、29歳の時三国高校(福井県坂井市三国町)の美術教諭として赴任。88歳で亡くなるまで坂井市三国町に住居兼アトリエを拠点に、創作活動および人材発掘に努める。死後、住居兼アトリエを改装し「ブルーケーキ」と呼ばれるギャラリーが2005年にオープンした。
ONO MEMORIAL(オノメモリアル・ブルーケーキ)https://www.ryusyokan.jp/ono/

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小野忠弘の壁画、撤去作業進む福井ゆかりの美術家、移設に向け検討へ(福井経済新聞2017.10.24)https://fukui.keizai.biz/headline/464/

本インタビューは、月刊fu「或る場所のアート」(福井新聞社発行)のはみだし版です。本誌も読んでね☆ 

月刊fu(ふ~ぽ)
https://fupo.jp/column/art_view-somewhere/

2022年3月号に掲載しました。

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この記事を書いた人

SAITO Riko(齊藤理子)

幼い頃から絵が好き、漫画好き、デザイン好き。描く以外の選択肢で美術に携わる道を模索し、企画立案・運営・批評の世界があることを知る。現代美術に興味を持ち、同時代を生きる作家との交流を図る。といっても現代に限らず古典、遺跡、建築など広く浅くかじってしまう美術ヲタク。気になる展覧会や作家がいれば国内外問わずに出かけてしまう。

I have liked drawing since I was young, manga and design. I tried to find a way to be involved in art other than painting, and found that there were ways to be involved in planning, management and criticism. I am interested in modern art and try to interact with contemporary artists. I am an art otaku, however, it is not limited to modern art. I appreciate widely and shallowly in classical literature, remains, and architecture. If there is an exhibition or an artist that interests me, I go anywhere in and outside of Japan.