「時代を問う切り口を持つ」-彫刻家・岩本宇司さん

木を素材にぐねぐね、まるまる、ゴツゴツとした大きな作品を作る彫刻家、岩本宇司(いわもとたかし)さん。街中の風景を切り取った写真や自身の身長より大きなドローイングを発表もしています。岩本さんの作品の変遷と、根底にある作る動機は何かを知りたく、アトリエを訪ねました。(インタビュアー:齊藤理子)

生まれも育ちも違う土地。引っ越しは自己形成に深く関わることに

―大きなアトリエですね。

といっても廃工場ですから、中はすごいですよ。ここの前は福井県池田町で借りていました。昔は橿尾正次先生と一緒に永平寺町松岡で借りていたり、佐野温泉(福井市)の近くに建てたりもして、10年ごとにアトリエを引越ししている感じです。

―岩本さんは大阪芸術大学ご出身です。お生まれは福井県なのですか?

いえ、私はアトリエと同じく引越しの人生なのです。生まれは福岡県、育ちは愛知県、中学を出て高校は九州の長崎へ、大学は大阪芸術大学、卒業後に京都で仕事をして結婚して福井に来ました。家内とは大学の時に知り合い、福井出身の彼女の実家へ来ました。

―福井生まれの方だと思っていましたら、そんなにいろんな地域で過ごされていたんですね。大学を出てからはどのようなお仕事をされていたのですか?

芸術大学を出ても、就ける職は学校の先生か、デザイン関係か、染の世界くらいしかなかったんです。「芸術家募集」なんてありませんからね(笑)。

卒業後、京都で友禅染の下絵を描く仕事を2年ほどやりました。仮縫いされた着物に青い花の汁で直接和の柄を筆で描いていく仕事ですが、余白の面白さや奇数でものを構成する美意識は、和ならではと感じました。しかし自分の作品を作ることができなかったので辞め、配送の仕事などアルバイトを経て福井に来たという感じです。

―岩本さんは幼い頃から美術が好きだったのですか? 10代でどのように美術に触れたのか、教えてください。

子どもの頃、親が美術館へ連れて行ってくれた記憶はあります。しかし当時は観客の背中しか見えなくて関心を持てませんでした。ところがある日、鑑賞者のいない、がらんとした会場で、ある作品(ジェームズ・アンソールのデモーニッシュな絵)だけがあり、その絵が私の目に強烈に飛び込んで来ました。恐さと実在感に圧倒された、私とアート作品の最初の出会いだったように思います。

高校では美術部に所属していました。そこで出会った先輩が魅力的だったんです。その先輩は「新しいものの見方」「新しい視点」を持っていました。先輩の抽象的な絵が職員室に飾られていたのですが、緊張を強いられる職員室にあって唯一ホッとする存在の絵でしたね。「こういうことができるのが芸術なんだな、美術ならできるんだな」と感じました。もう一つは岡本太郎。その作品や存在の自由さが魅力的に見えました。

―その先輩に大感謝ですね。それで大阪芸術大学美術科に進学されたのですね。大学、染色の仕事を経て、福井に来られてからの活動を教えてください。

大学を卒業して「自分よりも絵がうまい人はたくさんいる」「何をしたらいいか」「何ができるんだろう」と考えてしまって、絵が描けなくなったんです。20代半ばの頃でした。 

福井に来てからは「絵筆を使わない、絵の具を使わない、ということを決めた。でも何か作りたい」、何とかしたい気持ちでいっぱいのとき「もう、手当たり次第に手に取ったものを作品にしよう」と思ったんです。

―で、何を手にしたのですか?

最初に手にしたのが電話帳です。あの分厚い、今は見掛けないですけど。そこで『引きずられた電話帳 1983』という作品ができました。今はありませんがJR福井駅裏のアートハウスギャラリーで発表しました。

辞書や教科書をのこぎりで切ったり、針金でしばったり、くぎを打ったり。オブジェを作る中で思いついたのがオートバイで電話帳をひきずることです。すると電話帳がさまざまな表情をみせてくれました。電話帳の意味を失い、匂い立つような自然の紙の束に戻るような、無作為で自然に近い感じがとてもしっくりきました。終わって裏庭に放っておいたら、なにやら発芽してました(笑)。

―なかなか面白い展開ですね。それで?

その発芽からヒントを得て、椅子に植物を植えて「生きたもの」と「死んだもの」の組み合わせの作品を制作しました。80年代、たしか若狭(わかさ)の画廊だったと思います。このころは「アートをしている」という意識すらなく、自由にやれていました。しかしこの作品は「現代生け花か」と揶揄されたこともあり、物質の組み合わせに限界もあると知ったのです。

人ではないもので人の存在を醸し出したい

―電話帳、植物、若い頃はいろいろ試されていたんですね。パフォーマンス的なこともされています。今の彫刻制作スタイルになるまでのこと、もう少しお話しくださいますか?

植物と木の出会いから、廃材を使って人型(ひとがた)を作り始めました。モノとモノの組み合わせから、もっと造形に参加したいという思いからです。バイクが趣味だったので、車輪と足を同じ機能に見立てて自然の力で動くような自転車を廃材で作ったりもしました。自力ではない別の力で動く乗り物です。

作品の一部としてサドルやブーツを取り入れたとき、私は一つのことに気付きました。「これらは体のにおいがする、体の一部を写し取っている」と。人の存在を感じさせるものを生かしたい衝動にかられたんです。このときの作品は、大阪で笑福亭鶴瓶が司会をして岡本太郎がコメントをするテレビ番組で紹介されたんですよ。

廃材を使っているのは比較的入手しやすいものだったからです。とにかく20代、30代は「制約から自由になりたい」と思って挑戦を続けていました。特に丸太や角材をどうやってやろう、どうしようかと考えていたんです。木をくりぬいたものを叩いて音を出す作品も作りました。

―彫刻作品を作るときはどんな道具を使われていますか?

主に使うのはチェーンソーとナタです。設計図はなく、ものと対話しながら削っていきます。ノミを使ったこともありますが、どうしても作品が工芸的になってしまう。作品もどんどんこぎれいになっていく。それはとても危険でした。「装飾的な作品だ」と言われたこともあります。伝えたい核がオブラートに包まれる感じだったのでやめました。悩んだ末、しばらくカメラを手にして写真での表現に向かったのです。

彫刻をやって、写真、ドローイング、スケッチなどを経て今また再び彫刻に戻ってきたのかもしれません。

―彫刻もドローイングも写真も、すべて岩本カラーを感じられます。全く違う絵ではなく、トーンが同じというか、描き手のテンションが同じといいますか、私はそう思いました。岩本らしさともいえる原点はどこにあると思われますか?

原点は先の電話帳をひきずるところからでしょう。変換の面白さ、原形と違う形になる面白さがありました。丸太を違うものに変換する、それが私の彫刻作品です。その制作過程で何を頼りにしていくか。作為と無作為の狭間を手さぐりで探しながら全体がしっくりする、響き合う状態を見つけ出します。

私の彫刻作品は、いくつかぼこぼこした形をしています。ひとつひとつに顔があり、全体で体にもなっている。どこまで削られるのか、不確実で不完全でありながら魅力的な状態を探し突き詰められるか、木と対峙しています。

現代美術の中で作品を発表するというのは、少なくとも時代の切り口を持っていることだと思います。持っていないならやってはいけない。持っていないなら彫刻に関われないな、そういう気持ちでいました。私の場合、素材と初原的な関わりを持つことで時代を切り拓けるか、時代に開き直れるか、ということを自問自答して続けています。

―ドローイングも写真も表現するツールが違うだけで、表現したい核は同じなんですね。だから作品にブレがない。これまでの変遷ではなだらかに作風が流れていると思いました。もう一つ質問させてください。その核を形作ったものは何でしょうか?

もう一つの原点、精神的な原点である、引っ越しです。幼い子どもにとっては大きな出来事なんです。知らない土地に無理やりに連れて行かれる。土地や思い出から引きはがされる。大人になり私は結婚して養子になった。名字を変えるのに勇気がいりました。どうなるかなと思ったんだけど、これが意外に「ものすごく自由になった」んです。

ふるさとがある人は自己破綻しません。引き裂かれるものがないからです。私は引越しを繰り返すたびに、自由な一方で根なし草感が抜けず、絶えず不安でした。

「どうしたら生き方と居場所につじつまがあうのだろう」と自分自身に問いました。「つなぎ合わせるためにはどうしたらいいか」「自分を構築するにはどうしたらいいか」そのことを考えて制作に向かっています。どんなにいびつでも全体にバランスがとれていれば良い、と開き直っているところもありますけれども。

彫刻をしたから気づいた、平面の可能性

―ドローイングの作品もとてもステキです。大きくて、包みこまれる迫力を感じます。

彫刻100%になってしまうと、紙の自由さに気付くのです。例えば、彫刻が自立できない場合吊るすためのネジを付けたりして、作品に必要のない補助具みたいなものを取り付けなくてはならない。それがちょっと嫌で。

―いやって(笑)。それでドローイングを始めたのですか?

そうです。ただし私が考えたのは彫刻するための下絵的なドローイングではなく、ドローイングだけで成り立つ作品でした。彫刻作品と同じ大きさで描いてみたくなったんです。

―結果、どのように感じましたか?

彫刻作品よりドローイングが勝るイメージでした。平面の持つ良さを見直しました。平面は、真正面から見ればいいだけ。見る角度方向が決まっています。

立体彫刻は360度見ることができます。ここから見ると形になっているが、反対から見ると形になってない、ということはできない。どこからみても魅力的になるようにしなければ、と。ある程度の正面性は必要ですが、作品作りではメインとなるものではないでしょう。

―若いこと、絵筆を持たないで作品を作ることを試みていた岩本さんが、再び絵筆を持っていることはとても興味深いです。

-20代の原点である電話帖から、彫刻、写真、ドローイング、写真などを行い2019年に新作を作っていらっしゃいますね。心境をお聞かせください。

新作の彫刻は2019年の7月くらいからはじめました。いろいろツールを手にしていますが、一区切りついたのでもう一度彫刻に向かう時期に来たんだと思っています。昔の彫刻作品を掘り起こし再度リメイクしているところです。

過去作品を振り返り、自分で表現の確認をして「ひと休みをしていいいか」「ひと休みは終わったか」と自答しました。それで私の中で区切りがつき、新作へ向かったというところでしょうか。

―これからの発表がとても楽しみです。ありがとうございました。

―――影響を受けた美術作家、好きな美術作家 

クリスチャン・ボルタンスキー
 パリで棚の中に衣類をつめていく作品を見てファンに。インスタレーションでやりたいことをしている。

アントニ・タピエス、サルバドール・ダリ
 高校生の時に見て、奇妙な絵なのに説得力のある絵だったから。

ジェームズ・アンソール 
 最初にアートと出会った作品。ベルギーの画家。死神の絵やあの世とこの世を行くような絵を描いている。怖くてかわいい、キャラクター性もある絵を描いていて強烈な印象。

アメリカポップアート 
 これが時代の最先端!という実感を子供の時に受けた。

インタビューを終えて

私が岩本さんにお会いしたときは、すでに彫刻家として発表をされていました。どの彫刻も単なる木の物体ではオーラがありました。命を宿した有機体のような形に見えていたのは、人型(ひとがた)がどこかに潜んでいたからだったのでしょう。

しばらくして、ドローイングや写真の作品を目にしました。これらの作品も彫刻に通じる岩本さんらしさが漂っていました。どのツールを使ってもにじみ出る岩本さんらしさはどこにあるのだろうと感じ、インタビューを試みました。それは単なる個人の勘や感受性によるものではなく、若い頃の引きはがされる経験が根底にあること、時代を問う視点を持っていること、原点があるからだと知りました。

かたちを別のかたちに変換することを意識している岩本さん。素材に問い、自分の表現に問い、挑んでいます。「時代を問う切り口を持っていなければ現代美術作家ではない」、穏やかな口調できりっと話す岩本さんに、作家の決意を垣間見ました。

プロフィール

岩本宇司(いわもと・たかし)

福岡県生まれ。大阪芸術大学美術学科卒 福井県の高校で美術教諭として勤務

大学卒業後、京都の染工房に勤務し結婚を機に福井県へ。廃材をチェーンソーとナタで削って形を変換する彫刻作品を制作している。写真やドローイングも手がける。国内外での個展、グループ展での発表多数。

作品の一部は芸術専門楽群ストアで販売しています。
https://store.geisen.art/product-tag/iwamoto-takashi

この記事を書いた人

SAITO Riko

SAITO Riko(齊藤理子)

幼い頃から絵が好き、漫画好き、デザイン好き。描く以外の選択肢で美術に携わる道を模索し、企画立案・運営・批評の世界があることを知る。現代美術に興味を持ち、同時代を生きる作家との交流を図る。といっても現代に限らず古典、遺跡、建築など広く浅くかじってしまう美術ヲタク。気になる展覧会や作家がいれば国内外問わずに出かけてしまう。