毎年2月、西武福井店(福井市中央1)で新作を発表している、福井県越前市在住の美術作家・三田村和男さん。
2023年には西武福井店での発表が20回目を迎えるとのこと。2022年の作品には、少しくすみと陰りのあるレトロモダンな色合いが見えました。三田村さん曰く「大正時代、大正ロマンの雰囲気が好きで、それを令和版にしてみたらどうかなと」と女性像を描き上げたそうです。
久しぶりにに三田村さんにお会いしたいなと、越前市のご自宅へ伺いました。
西武福井店の個展は、三田村さんが銀座で個展をしていたときに端を発します。
画廊に百貨店の美術担当者が来られて気に入り、福井でも扱うように手配してくれました。その担当者は扱う作品に目利きと線引きを持っていたそうで「どんな作品でもいい、作家が福井に住んでいるから西武福井店(当時は「だるやま西武」)でというわけではない。どこにでもある絵では売れません。三田村さんのようにスタイルのある絵がいいのです」ときっぱり言われたそうです。百貨店としても売れないと意味ないですから、お客様に気に入っていただける絵を求められました。三田村さんは毎年20~30点出品し続け、前年とは違う新しさを付け加えた新作を披露しています。
独特の色づかいは最初から三田村さんの中にあったわけではなく、サロン・ドートンヌ(パリの有名展示会)では裸婦画で入選を果たしています。パリへ渡って絵を学んで帰国した後、自身のこの先の表現について悩んだのだそうです。そこで思いついたのが色面構成。東京・銀座の『ギャラリー舫』のオーナーに色面づかいの絵と裸婦画を見せたところ「色面がいい」と勧められ、福井市の『アートハウスギャラリー』で色面の作品を発表し、「この方向で行く」と決めたといいます。
『夢のふくらし粉』『光の踊り』-詩的なタイトルも魅力の三田村作品。センスのあるタイトルはどのように付けているのでしょうか?
「描き終えた後に付けています。その絵に感じたものや、ふさわしいものを過去の言葉集のメモの中から選び出します。常日頃浮かんだ言葉をメモして書き留めているんですよ」。タイトル付けは、絵と言葉がつながる瞬間を楽しむ時間でもあるようです。
レッド、イエロー、ブルー、どれも「三田村さんの色だ!」とすぐに分かるような独自の色を持っています。一番人気の三田村カラーはイエロー。ブルーにレッドを差した色面も売れるとか。
「絵具から出した原色をそのままは使用しません。私の作品に使われているイエローは同じ色に見えますが、作品ごとに異なり一緒ではないのです。水の分量で色は変わりますし、描く時に作る色なので、あとで同じ色を作れといっても作ることはできません」と話します。
三田村さんは光と明るさに関してとても敏感な方です。
「陽の光や照明の関係で、作品を飾る場所によって色は違って見える。私は電球色の下で描いていますが、本当に色の見え方が難しい」。電球の種類で青っぽく見えたり、赤っぽく見えたり。「購入したお客さまの家のどこに置かれるかで、僕の作品はずいぶん変わるだろうね」と話します。「LED照明は明るすぎて色づくりができない」とも。
紙にいきなり色を塗ることはなく、アイデアスケッチをしてふくらませていくのが三田村式です。先にアイデアを出し、それをスケッチしてデッサン。その後、実際に描く紙の大きさの数分の一スケールの紙の上に色紙でレイアウトをし、色の配置を固めます。
イメージが固まったら本番作業へ。マスキングテープを使ってレイアウトを再度行い、色を塗っていきます。細い線1本も手描きではなくテープを使います(例外アリ)。
「シルクスクリーン版画のように思われることもあるのですが、すべて手で塗っています。色面が重なることもありません。色の塗り重ねをしないことで濁りのない色になり、シャープで力強い色面となります。紙はフランスのモンバル紙。外国産の紙から越前和紙までいろいろ試した結果、現在の紙に行きつきました。ほどよく水を吸い、吸いすぎず、発色が良いからです」
抽象表現に富んだ色やレイアウトはどのように浮かび上がるのでしょう? 三田村さんは「インスピレーションは自分で出すもの」だとはっきり話します。
「なんとなくではできない。自分で意識的にかかわらないと生まれません。どのように出すのかは自分次第です」
そのためにヒントを自分の中にためておいて、出せるようにしておく。1日かけてもアイデアが出ない場合もあり、そうかと思えば1日2点も浮かんでくる場合も。
「半年以上かかって新作が30点、というのも頷いてもらえればありがたいんだけど。ポンポン新作が出てくるわけではないんだよ、と分かってほしい(苦笑)」
最後に、売れる絵、売れる画家についてお話しいただきました。
「私は画家を生業としていますから、売れるか売れないかも考えないといけません。何を描けば好まれるか、ということも察知しないと。売れた絵を見ると、売れる理由が私には分かっています。私の絵がいい、色が好き、という好きな方に買ってもらえるとうれしいです。でも売れる絵だけでは売れないのです。自分がこの絵を描きたい、という質を保っています。売れるからと言ってやみくもに崩すことはしないです」
取材終えてからの話
取材後、お茶を飲みながら「いつから絵に関わったのですか?」と聞きました。ここからも面白かった!
越前市で生まれ、京都の銀行へ就職した三田村さんは、支店前にある古本屋に通ったそうです。たまたま手にしたのが藤田嗣治の画集。「こんな絵を描く人がいるのか」と衝撃を受け、描きたい気持ちが募り絵画教室へ。20代前半に銀行を辞めて着物の帯の図案を作る図案家のもとへ弟子入り。牡丹、菊、鶴など動植物をひたすら描いていました。
昔描いていたという裸婦画を見せてもらうと、その背景には今の色面や形につながる絵の片鱗が見えました。裸婦画は今の女性像に、動植物の図案は今の色面モチーフにつながっていました。若かりし頃の鍛錬とフランスで見聞きしたセンスが今の三田村さんを作っていたのです。三田村さんの絵は単なるアイデアや思い付きによるものではないと思ってはいましたが、今ある心地よい色と形には、ゆるぎない基本軸があったのですね。
三田村さんと出会ったのは、それこそ20年前。色づかい、タイトル、抽象的なモチーフ…と一目で惹かれる作品ばかりでした。花かもしれないし、そうじゃないかもしれない。はっきりモチーフが分かる場合もあり、そうではない場合もあって、読み解く絵でもありました。
音楽関連のポスターを手がけていたときは、本当に絵から音楽がこぼれて聴こえてくるような絵でした。見る人の心に音楽を鳴らせる絵を描くのが三田村さんです。「抽象と具象を行ったり来たり」と三田村さんは話しますが、その行ったり来たりが私は好きです。
三田村さんの友人で、カフェに絵を置いていた笠松雅弘さんのコメント
私は福井県立博物館(現・福井県立歴史博物館)のリニューアル業務に携わり、『昭和の大博覧会』という展覧会を開催しました。そこにニコニコと笑顔で「昭和の文化が好きなんです」やってくるおじさんがいました。有名なメンココレクターでもあったその方が三田村和男さんでした。
その後はワークショップやイベントでご一緒させてもらいましたが、当初は絵描きさんだなんて知らなかったんです。聞けば美術作家さんだといいますし、一度絵を見せてもらったらとても素敵で。そこで福井県立博物館のエントランスに飾る壁画をお願いしました。来られる方がわくわくするような、楽しくなるような気持ちの絵を具象的にならずに描いてもらったものです。
私は仕事を退職後、知人の飲食店オーナーから昼間のカフェを任されて、しばらくカフェを開いていました。その時、店内を自由にディスプレイさせてほしいと話し、三田村さんの絵をお借りしたのです。黒を基調とした店内に、三田村さんの明るい色が映えました。やはり見る人を明るい気持ちにさせる絵はいいですね。三田村さんの絵にはその力があるので、3点選び今も飾ってもらっています(みくに龍翔館 館長・笠松雅弘さん)。
プロフィール
三田村和男 (みたむら・かずお/Kazuo Mitamura)
1943 福井県越前市(武生)生まれ、武生高校卒
坪井一男、矢内原伊作氏の指導を受け京都YMCAにて学ぶ
1969-76 染織デザイン展(淡交社/京都)
1985 人形展(阪急百貨店/京都)
1987 渡仏
1988 サロン・ドートンヌ(パリ)入選
1990 ART 90 PARIS 招待(パリ)
シカゴ国際アートコンペテシオン招待(シカゴ)
1991 アラウンザコヨーテ91(シカゴ)
1992 サロン・ドートンヌ歴史書に掲載される
1993 アートハウスギャラリーにて初個展(福井)
1996~2010 毎年個展 ギャラリー舫(東京・銀座)
2003 福井県立歴史博物館エントランスに全長11mの壁画を制作
1994~ 現在 全国各地の百貨店、画廊等で個展多数。
また、冊子の表紙絵やポスター等も多く手がける。
- パブリック・コレクション
福井県立美術館、福井県立歴史博物館、福井県立こども歴史文化館、清川泰次芸術館(静岡県御前崎市) 、江戸川大学総合福祉専門学校(現江戸川学園おおたかの森専門学校、千葉県流山市)
三田村さんの作品が見られる場所
お食事と珈琲 百(ひゃく)
〒918-8104 福井県福井市板垣3-1624
0776-35-4900
営業時間:11:00~14:00
定休日:火曜日
本インタビューは、月刊fu「或る場所のアート」(福井新聞社発行)のはみだし版です。本誌も読んでね☆