「目の前の事象を疑問に思い、思考を広げる」(1)-ダンサー・岩本亜樹さん

福井から海外へ。コンテンポラリーダンスの盛んなヨーロッパで踊るダンサーがいるよ、との情報を得てコンタクトを取りました。20代の岩本亜樹(いわもとあき)さんが、海外で何を思い何を考え、身体表現で実現したいことは何か、メールでやりとりを重ね伺いました。3回に分けて掲載します。(インタビュアー:齊藤理子)

剣道、チアダンを経て現代舞踊へ

―亜樹さんは10代に剣道を、そこからダンスの道へ入りました。剣道をはじめたきっかけや、ダンスをすることになった動機を教えてください。

私は小さい頃から音楽に敏感で、両親に言わせると「いつも音に合わせて体を動かしてた」みたいです。自分からバレエ教室へいきたい!と迫ったそうですが、私の祖父が剣道の先生だったので、私の兄も姉も剣道をしており、私もつられて入って9年間続けました。つられて始めたわりには長く続きましたね(笑)。

でも、ふと「私には格闘技は合わないな」と感じたのをきっかけに剣道をやめました。そして福井県立福井商業高校でダンスに出会いました。私の中では幼い頃から気になっていた念願のダンスができる機会でしたから、チアリーダー部JETSに入部を決めました。ダンスの動機はとても単純で、入学時の部活紹介のとき生まれて初めてチアダンスを見た衝撃からです。先輩方の人柄はもちろん、今までとは全く違う煌びやかな世界は、その時の私にとって憧れの対象になりました。

―格闘技が合わない、と感じたのは具体的にどんなところが合わなかったのでしょうか?

人を叩きたくないという感情が生まれたことです。剣道は個人競技ですが、個人としての闘争心が自分にはあまりないということに気づいたから。勝ち負けの世界なので、どうしても闘争心がないと成り立ちませんよね。

欧州の美的感覚と感性を突き詰めたくなった

留学に私の中にあった「音楽や美術作品が生まれた海外への憧れ」からお話します。子供の時から、音楽に関しては両親にかなり影響を受けPink Floyd, Radiohead, BjörkなどがBGMで流れているような家でした。邦楽も聞いていましたが、外国の音楽が身の回りにあるのが普通の世界でした。もちろん歌詞は理解していないのが前提です(笑)。

両親が美術作家なので美術館へ足を運び、自分の目で見て身体で感じる機会がよくありました。その中で今でも印象に残っているアーティストは、ピエール・ユイグ、ビル・ビィオラ、ピピロッティ・リストです。どれもビデオアート作品でした。そこには視覚的に衝撃的な映像や、人間性が見え隠れするシチュエーションと同時に音や音楽が効果的に使われていました。それが新鮮で今でも覚えています。物心ついた頃から無意識に海外への興味はずっとあったのだと思います。

私が初めて海外へ渡ったのはチアリーダー部JETS の全米大会。16歳でした。「アメリカはこんな感じなのか」と体感したことで「それなら反対側のヨーロッパはどうなんだろう?」という素朴な疑問がわいたのです。

―初めての海外、初めてのアメリカで、最初に感じたことを覚えていらっしゃいますか?

私たちが踊ったのはフロリダのユバーサルスタジオの中にある会場で、いわゆる観光地でした。私たちが英語を話せなくても観客や現地の方は皆フレンドリーで、パフォーマンス後も観客の反応が率直だったことに驚いたことを覚えています。

―ヨーロッパへの想いは?

10代後半、私はヨーロッパ生まれの表現に強い興味を持ちました。さきほどアーティスト名を上げたように、彼らの表現自体に私は共感し、その美的感覚と感性を突き詰めたくなったのです。ダンスだけではなく、ヨーロッパに住むことでそこにある文化や人間性にも触れてみたい、そんな気持ちが高ぶってきました。

大学は日本女子体育大学の舞踊学科に進学しました。ここでは海外とダンスの一般知識を得ることができました。中でも海外経験のあるダンサーや先生方、特に尊敬していた研究室の岩淵多喜子先生の影響が大きいです。先生もヨーロッパ生活をしていた人の一人でした。留学は、周りからヨーロッパの大学を勧められたのがきっかけです。

―ヨーロッパ、最初の留学先でのお話をお聞かせください。どんな勉強をしましたか?

大学卒業後、オーディションを含めアントワープのRoyal conservatory Antwerpまたザルツブルグのダンス学校SEADのオープンキャンパスへ足を運びました。学校や街の雰囲気などを知り、心はアントワープに一直線……(笑)。アントワープの入学オーディションに参加し、約160名の受験者の中、14名の合格者に選ばれました。

学校の授業では、コンテンポラリーダンス、バレエ、即興、振付、ヨガ、演劇、ダンス分析、パーカッションそしてクリエーションの実践をするクラスがありました。論理のクラスでは、舞踊の歴史、音楽の歴史、栄養学、解剖学、ポートフォリオ、ヨーロッパ文化論などを学び、多様な方面からダンスと向かい合うことができました。

ある時、そのクリエーションのクラスで、ゲスト振付家Maud Le Pladec氏に出会い、プロジェクト“Border line”を創作しました。彼女の人柄やアイデアはとても面白く、彼女から生まれる芸術性に興味を惹かれました。今後も一緒に仕事ができたらと思い彼女の新しい作品のオーディションを受けたんです。それがきっかけで初めはインターンシップとして、最終的にプロフェッショナルとして向かい入れてもらえることになりました。現在は彼女の作品“Twenty-seven Perspectives”に出演しています。

―お父さんから学んだこと、お母さんから学んだこと、小さい頃の教えが今、分かった、というエピソードはございますか?

難しい質問ですが、教えという仰々しいものはなかったですね。どちらも背中で語るタイプだと思います(笑)。言うならば「どんな年になっても学ぶ姿勢を忘れていないこと」ですかね。マイペースに、自分の好きなものを突き詰めていくことをやめないことは両親から学んだかなと思います。

注)父は彫刻家・岩本宇司氏。母は美術作家で「創作工房伽藍」主宰・岩本朋子氏。2016年に福井県立美術家にて父・宇司さんがドローイングを、亜樹さんがその前でダンスをするというコラボレーションを行った。“火花を紡ぐ| WEAVING THE SPARK”

プロフィール

岩本亜樹(いわもと・あき)

1992年、福井県福井市生まれ、福井商業高校でチアダンス部「JETS」に所属、日本女子体育大学に進学し岩淵多喜子氏、勅使河原三郎氏のWSに参加。卒業後に渡欧し、2018年6月にアントワープ王立音楽院ダンス科を卒業。現在は振付家Maud Le Pladecの作品 “Twenty seven Perspectives”のツアーでヨーロッパを回り、アイルランドのカンパニーTeaċ Daṁsa  振付家Michael Keegan-Dolanの作品 ”MÁM” にも参加、ツアーを行っている。ダンスコレクティブのThe Backyardのメンバーでもある。ベルギーのブリュッセル在住。

この記事を書いた人

SAITO Riko

SAITO Riko(齊藤理子)

幼い頃から絵が好き、漫画好き、デザイン好き。描く以外の選択肢で美術に携わる道を模索し、企画立案・運営・批評の世界があることを知る。現代美術に興味を持ち、同時代を生きる作家との交流を図る。といっても現代に限らず古典、遺跡、建築など広く浅くかじってしまう美術ヲタク。気になる展覧会や作家がいれば国内外問わずに出かけてしまう。