白崎徹さんは、私が20年前に出会ったときは鉄を素材にしている作家でした。ひょんなことから再会に至り、作品作りをしていることを聞いて改めてインタビューを申し込みました。現在、鉄だけに限らず、流木、トタン、古い何かを素材に制作しています。一見、何を表現しているのか分かりにくい抽象立体のようですが、どうしても惹かれます。今、何を思い、何を表現しようとしているのかを白崎さんのアトリエで伺いました。
高校卒業後、白崎さんは福井から滋賀大学へ。教育課程で待っていたのが村岡三郎、宮崎豊治ら現代美術で活躍していた教授陣だったというから驚きです。硫黄や漆の匂いが満ちている研究室で、学生は教授の作品や制作過程を間近で見て、大きな影響を受けたそうです。
-学生時代、滋賀ではどのようなことを学んだのでしょう?
高校卒業するまで、美術作家らしい作家に直接会ったことがなかったので、美術作家に触れたことはかなり衝撃でした。実技研修で村岡さんに学んだからというわけではないですが、自然に金属、特に鉄を扱うようになりました。
自分としてはイメージする完成作品に鉄という素材が“あてはまった”感覚です。教授からの指導もあって制作の過程とコンセプトを重視する作品づくりをしていました。前衛芸術・コンセプチュアルアートが広く知られた時期で、その刺激は私にも及びました。社会に対して何か問題提起するような内容の作品をよく制作していましたよ。
ですが、あるとき村岡さんが「結局は見た目だよ」とひとこと言ったんです。それまでコンセプトだ、なんだと話していたけど、コンセプトだけでは作品として成り立たない、形に魅力がなければいけない、と気づきました。造形へのこだわりはここからはじまったかもしれません。
-昔から扱っている素材は鉄や流木、トタンなど渋いものばかりです。なぜこれらを?
ピカピカな素材にあまり興味がないのです。製材されたばかりのきれいな木材より経年劣化したものや流木に惹かれます。
-しかし、鉄や流木はそれだけで存在感がある素材です。どのように向き合っていますか?
向き合うのが難しい素材ですね。ともすると素材に余計なことをすることかもしれない。自然に良い感じに出来上がっているものを触る、その怖さはありますよ。
私は自然のままに残すことはせず、どこか人工的に手を入れるようにしています。作品『漂流物』は、規則的なもの、四角い箱を載せました。数年前に発表したものですが、下部の木の部分はもう一度エイジングさせました(鉛筆削りの屑を集めて手になじませ、撫でて汚させる独自の手法)。
写真を入れたシリーズ作品も、写真だけで成立してしまう危うさがあって悩みました。できるだけどこにでもある風景、どこにでもある写真、特定されない、どこでも撮影できる海の写真を使って、輪郭をぼやかしています。
-滋賀の大学から福井へ戻られて、どのように作品づくりをしてきましたか?金属を扱うというと溶接や素材置き場が必要なイメージです。
そうなんです。どうしても設備がないので小作品になってしまいます。あるものでやるしかない(苦笑)。でも、ほどよい制約もかえって自分ができることを突き詰められるので不満はないです。
以前のアトリエは住宅街のガレージを改装したものでしたが、普通に音を出していたので近所迷惑だったでしょうね。そのころは鉛に漂白剤を塗るなんて、ずいぶん体に悪いこともしていました。今は音を出してもそれほど迷惑にならないであろう田んぼの近くにいます。
-鑑賞者である私が作家の白崎さんと再会するあいだに10年以上空いています。現在50代となるご自身に、昔と違うなと感じるところはありますか?
若いころはコンセプトが先行し、あれこれ考えていましたが、時を経ると「自分がなぜ作品を創っているのか」「創ってどうしたいのか」を改めて自分に問う、そういう時期が来るんです。そのとき「やっぱり自分が飾って気持ちがいいものを創りたい」と思うようになりました。そこから「記憶と景色」という言葉が浮かんだのです。自分の記憶との対話から生まれる情景的な作品へと変わっていきました。
あのときの、あの風景。頭の片隅に残っている風景を作ろうとしています。記憶の再構成でしょう。この思考は、20代、30代にはなかったものです。「sense of wonder」という言葉がありますね。あれは自然の事象から受けた感動を主な対象にしています。もっと拡大解釈すると、人工的なものからも同じように特殊な感動は得られると思うのです。朽ちていくものであったり、変容するものであったり、そういったものや景色の記憶をイメージソースにして制作しています。
-記憶と言うあいまいなもの、不確かなものをテーマに作られているのですね。抽象性が高い作品について、しかも立体となると、ご自身でどのような完成形を描いていますか?スケッチを何度も描かれます?
うーん、完成形はぼんやりと頭の中にしかないのでスケッチを何度もして作ることはないですね。そもそも二次元が苦手で。平面を描ける人に憧れがあるというか…(笑)。
作品の形になるまで、素材を触るうちに変わっていきますし、思い通りの形ではないです。いじりながら作っていく、という感じかな。
例えば素材を手にしたら、まず遊ぶ。造形遊びに近いところから出発します。紙をよごす、トタンを錆びさせる、などもその延長に近いかも。近作も、もともとビーチコーミングが好きで海でいろんなものを拾っていたんです。
-造形遊びからの出発ですか!では幼少期も描くより作るほうでしたか?
小さいときから絵も好きでしたが工作や使うための物づくりも好きでした。というか、大勢で遊ぶのが苦手だったので一人で遊べるモノとして、物づくりに自ずと向かっていた気がします。
実は家の事情で幼少期から何度も住処が変わったせいもあり、自ずと一人の時間が多かったんです。一人で遊ぶ、その時間は結果として私にとって必然だったのです。この境遇のおかげで自分の心を解放できたと思っています。
Photo:たとり直樹(スタジオ壱景)
-色もあまりない作品ですよね。
色を使うのがこれまた苦手で(笑)。というか白黒が好きです。写真もできるだけトーンを落としています。
-木と鉄、異素材を扱う難しさはありますか?
木材、溶接、どちらもやってきたことで、今の私の技術が融合して作品化できています。
-近作で海をモチーフにしたり、海で撮影したりした写真が多いですね。
海が好きからかな。宝物がありそうな感じがしませんか?気持ちが穏やかになります。自然の姿がかわっていくその変遷と、福井独特の鉛色の景色にもひかれています。これらの景色を私なりのイメージで、断片ではあるが形にしたいと考えています。
かつては、趣味や遊び、日常生活、仕事、そして制作活動、と私の中でベクトルが違う方向にあって、なんだかその時その時の自分がばらばらだと感じていました。ようやく、気がつけば繋がってきた感じがしています。焚き火台を造ってみたり、家具を作ってみたり、キャンプやゴルフ、スキー、バイクなどもよく考えれば全部自然とのふれあいで、しかもどれも一人でも遊べます…(笑)。自分の生活行動と制作活動とにあまり差がないんですよ。“生活にアートを”ではなく“生活をアートに”とでもいいましょうか。
-このアトリエに入れば、十分に理解できます。キャンプ用品やバイクの存在感がありますもの。
私にとって制作活動は「生活の糧」としてではなく「ライフワーク」として行っているものです。
「生活の糧」として制作している方の作品は、やはりその覚悟があってどれも見応えがあり素晴らしいものが多い。そうでない者の作品は、まだ作り込みが甘い一面も否めない。制作者も鑑賞者もきっと同じように感じられることでしょう。
ただ、一度評価を受けると簡単にはスタイル(作風)を変えられない作家もいます。評価を受ける一方で縛りが生じるのも否めません。私は飽きっぽい性格なので、似たような作品を作り続けることはできないですね。
それよりは、今は「自分が創りたいモノを自由に創りたい」、ただそれだけなんです。制作をライフワークとしてとらえているのも、制作のふり幅の自由さがあるからだと思います。
-ありがとうございました。
白崎徹さんと作品と私が再会したときの話
何十年という時を経ても、再会した時には違うかたちの作品であったとしても、あの人の作品だと分かる作品がある。
15年ぶりに仕事の席で偶然お会いした、白崎徹さん。私の中では鉄の作家というイメージをある。
白崎作品に出会ったのは私がまだ20代の頃。鉄を素材にオブジェを作り発表をしていた。鉄といえばゴテゴテした無骨のイメージを持つ方いるだろうが、白崎作品はきりっとカッコよく、涼しく立つオブジェだった。素材は鉄という無機物であるのに、まるで有機物のような生命力。線の細いものもあったが、繊細とも違うストイックな佇まい。20代女子としては、その佇まいにクラクラくるもので、作品は人をどことなく寄せ付けなかった白崎さんその人の印象でもあった。真っ白な壁のあるギャラリーに、鉄の黒さが際立ち、場の空気を変える力を持つ作品だったことを記憶している。
その頃の白崎さんは、寡黙で近寄りがたく、20代の私が気軽に話しかけられる感じではなかった。寡黙でストイックな人…というイメージを経て15年後、とある席でお会いした時の白﨑さんは、かつてのイメージを覆す、トークにも熱い方だった。かつての印象を伝えると白崎さんはたいそう笑って「その頃は、私が作品を語れるだけの心の余裕がなかったですよ。話しかけられるのが怖かったからかもね」とあっさり。
再会で私の心に火が付き、近作の話を伺う。「そうだなあ」とスマートフォンに収められた写真を見せてもらうと、それはそれはまた私好みの作品を作っていることは、小さな画面からもずいぶんと伝わった。これは片手間で話を聞いてはいけない、と改めて取材を申し込んだ。それがこのインタビューである。
白崎さんの作品は、ご自身の記憶を、情景にまで昇華させている。その情景は、白崎さんの中にあるものだけれど、鑑賞者に「自分の中にもある」風景に気づかせる作品だ。
「記憶」は人それぞれのもの。色も形もない実体のないものなのに、白崎作品は観る人の「あ、これこれ」という感性に触れてくる。記憶と情景は、ともすると作家よがりの内省になってしまうものだが、白崎作品は内省を超えてくる。
20年前に見た作品と、10年前からの流木の作品、そして今のコラージュと、制作時期は違えど仕上がった作品はどれも白崎節が満載だ。どれもぶれてない。白崎さんの芯の部分が確立されていて、作品が醸し出している。鑑賞者は過去作品を見てどれも「白崎さんっぽい!」と頷くのではないかしら。
プロフィール
白崎(白﨑)徹(しらさき・とおる)SHIRASAKI Toru
1970年 福井県福井市生まれ
1995年 滋賀大学大学院美術教育専修修了村岡三郎氏・宮崎豊治氏らに学ぶ
現在中学校美術科教員
- 個展
- 京都市、福井市などで数回
- 企画・グループ展
- ギャラリーTAF:京都市
- ギャラリーG2:福井市
- ふくいビエンナーレ7「アンプラグド」:福井市美術館
- ARTDOCUMENT01「森から町へ」:金津創作の森
- 「交感する種vol.2」:金沢市民芸術村
- BJ(美術準備室)展:福井市・金沢市・大阪市/他
- 公募展
- IBMびわこ現代絵画展
- 滋賀県芸術祭93芸術祭賞
- 西宮市展93奨励賞
- とよた美術展04
- 国民文化祭現代美術展05 県教委賞
- 神通峡トリエンナーレ06 奨励賞 など
個展情報
View Somewhere – 何処かでみた景色 –
2021年7月23日(金) ~9月27日(月)
熊川宿若狭美術館
- 所在地
福井県三方上中郡若狭町熊川 39-5-1 - 開館日
金・土・日・月&祝日 - 開館時間
10:00~16:30 - 電話
050-3565-5885 - HP
https://bit.ly/3l87a6m
本インタビューは、月刊fu「或る場所のアート」(福井新聞社発行)のはみだし版です。本誌も読んでね☆
月刊fu(ふ~ぽ)
https://fupo.jp/column/art_view-somewhere/
2021年8月号掲載分です。